kazu2000のブログ / 社寺仏閣巡り

神社が好きで関西を中心に廻っています。kazu1000のブログ記事が満杯になりましたので、このkazu2000より引き続き投稿致します。

【生國魂神社】(いくくにたまじんじゃ)大阪市天王寺区(1/2)

【生國魂神社】(いくくにたまじんじゃ)大阪市天王寺区



式内社(名神大社)。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。大阪市中心部、難波宮跡や大坂城(大阪城)から南西方の生玉町に鎮座する。かつては現在の大坂城の地に鎮座し、中世にはその社地に近接して石山本願寺も建立され繁栄したが、石山合戦後の豊臣秀吉による大坂城築城の際に現在地に遷座されている。



この生國魂神社が祭神とする生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしまのかみ)は、国土の神霊とされる。両神は平安時代に宮中でも常時奉斎されたほか、新天皇の即位儀礼の1つである難波での八十島祭(やそしままつり)の際にも主神に祀られた重要な神々で、生國魂神社自体もそれら宮中祭祀と深い関わりを持つとされる。また、同様に大坂城地から遷座されたという久太郎町の坐摩神社とともに、難波宮との関わりも推測されている。その後中世・近世を通じても崇敬を受け、戦前の近代社格制度においては最高位の官幣大社に位置づけられた、大阪の代表的な古社の1つである。



古くからの社殿・神宝は幾多の火災・戦災によって失われたが、現本殿には「生國魂造(いくたまづくり)」と称する桃山時代の独特の建築様式が継承されている。また、7月11日・12日の夏祭など古くからの祭りが現在まで続けられている。




所在地:大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9


アクセス:地下鉄谷町線・千日前線「谷町九丁目」駅より徒歩約4分。
又は、近鉄「上本町」駅より徒歩約9分。







【允恭天皇陵】(いんぎょうてんのうりょう)大阪府藤井寺市

【允恭天皇陵】(いんぎょうてんのうりょう)大阪府藤井寺市


洪積段丘の国府台地のうえに前方部を北に向けて造られた墳丘長230m、前方部幅160m、後円部径140mを測る前方後円墳です。墳丘は三段に築かれ、周りには、二重の濠が巡っています。 宮内庁によって允恭陵(恵我長野北陵)に指定されていますが、出土埴輪等から5世紀中頃に築造された古墳であることが分かります。市野山古墳とも呼ばれています。この古墳の周りには阿蘇溶結凝灰岩製の家形石棺や多量の副葬品が納められた唐櫃山古墳や長持山古墳、その他、衣縫塚古墳、宮の南塚古墳、御曹子塚古墳など10基近くの陪冢が存在します。
【允恭天皇】(いんぎょうてんのう、仁徳天皇64年? - 允恭天皇42年1月14日)は、第19代天皇(在位:允恭天皇元年12月 - 同42年1月14日)。5世紀の天皇。雄朝津間稚子宿禰尊(おあさづまわくごのすくねのみこと)、男浅津間若子宿禰王(古事記)。中国の歴史書『宋書』・『梁書』に記される倭の五王中の倭王済に比定されてます。







場所:大阪府藤井寺市国府1丁目 国府1
アクセス:近鉄南大阪線「土師ノ里駅」より北へ徒歩約5分


【道明寺盾塚古墳公園】大阪府藤井寺市

【道明寺盾塚古墳公園】大阪府藤井寺市



五世紀初頭の築造。帆立貝式前方後円墳。
全長約110メートル、墳丘長さ約73メートル、後円部径約46メートル、高さ約7.5メートル。前方部幅約20センチ、高さ約1.8メートル。。
造り出しと周濠も確認されている。出土品は鉄製武器・武具・農道具・鏡・玉類など。
府営住宅建設の際に調査され消滅、現在は公園内に復元されている。





住所:大阪府藤井寺市道明寺6丁目


【御劔神社】(みつるぎじんじゃ)大阪府八尾市刑部

大阪府八尾市刑部に【御劔神社】(みつるぎじんじゃ)が鎮座しています。祭神は、素盞嗚命。境内の説明石碑には次のように書かれてあります。


「御劔神社のしるべ」


此の地、古くは河内國若江郡刑部郷と言い訓を聞けば刑部は、備中國賀夜郡、伊勢國三重郡等の刑部郷の例により於佐加倍と読むべしと伝えられその遺構であると言われている。
 第十九代允恭天皇が皇后の忍坂大中女命の御名代として定められた民部であり、御名代部として奉仕した後にこのオサカベの民部が刑部(ウタエ)の職に奉仕したので、記紀では刑部とされている。ウタエは法務の職に仕え此の地に刑部が置かれたと伝えられている物部氏の始祖とされる饒速日命の子宇麻志麻治命より数えて十一世孫にあたる物部石持連刑部氏がこの地を統治していたと言われ、物部氏族であります。大和朝廷が律令国家へ移行する中で氏姓制度が確立し社会のしくみが変わり刑部氏は紀元六百八十三年第四十代天武天皇のとき凡川内直、錦織造らと共に連の姓を賜わり刑部造となり朝廷に奉仕している。
 この刑部造に仕える部民が形成した村が刑部村となり刑部郷へと地域が広がっていき、村民の延命、繁昌が祈願され神々崇拝がたかまりその後神社らしきものが生まれたとされこれが御劔神社の始まりと伝えられ、約千二百年前と推定されている。
 崇拝する神々すなわち祭神は素盞嗚命、天穂日尊の二柱神である。素盞嗚命は天照大神の弟神であり、出雲大社祭神大国主命の祖父神である。又古事記、日本書紀にも明らかで、武勇に秀でた神であり天照大神の天の岩戸隠れの神話、或いは、出雲の国の肥の川上流における山岐の天蛇(ヤマタノオロチ)退治により、天叢雲劔(アメノムラクモノツルギ)を得て、天照大神に献上した神話等、数多く残されている。この天叢雲劔は、第十二代景行天皇の皇子 日本武尊命(ヤマトタケルノミコト)の蝦夷征伐に際し、焼津の原に於いて、賊軍の大攻に遭い、草を薙ぎたて難を免れそれを草薙劔(クサナギノツルギ)と言うようになった。現在熱田神宮の神宝として、又天皇の即位に際し、三種の神器として、未来永久に伝承をされるものである。
 天穂日尊は、天照大神と素盞嗚命と誓約(ウケイ)によって生まれた五男柱神の一柱で天孫降臨に先立ち、大国主命(オオクニヌシノミコト)との間で国譲りの大業を成し遂げた男神である。この様な偉大な神々を御祭神としている。
又河内式内五社の一社として言い伝えられて来た神社であります。牧岡神社、恩智神社、由義神社、弓削神社、御劔神社の五社で、河内住民の信仰の中心として存在しております式内社とは、平安時代初期、延喜のとき(紀元九百五年頃)第六十代醍醐天皇が律令制度の整備に際し、小野道凡、藤原忠平を宮中に招き延喜式を編集し全国の神社を神名帳に登録しこれを延喜式とされた。
 当社は、式内社としての記録が残されていないが五社の中に列せられている事は、この
優れた格式が他の四社と同様に勝るとも劣らぬものと判断しても決して錯誤とは思えない物であり、之の言い伝えに益々自信を深めるところである。






住所:大阪府八尾市刑部4丁目218


アクセス:近鉄「恩智」駅から徒歩約15分
近鉄「高安」駅から徒歩約10分



👇 【御劔神社】の夏祭り(2013年度)
(注意)現在は祭りは行われておりません。


【宿奈川田神社】(すくなかわたじんじゃ)「通称 :白坂神社」大阪府柏原市

【宿奈川田神社】(すくなかわたじんじゃ)大阪府柏原市



式内社で、旧社格は村社。地元では通称 「白坂神社」と呼ばれ、地図や看板でもそのように表記されている。 宿奈彦根命・高皇産霊命・級戸辺命を主祭神とする。『神社覈録』や『特選神名牒』では「祭神不詳」となっている。 創建の由緒は不詳である。近くにある天湯川田神社(柏原市高井田89)とともに、当地を拠点としていた鳥取連が祖神を祀ったものとみられる。弘仁式の時から官社となっており、延喜式神名帳に「河内国大県郡 宿奈川田神社」と記載され、小社に列している。 中世には「白坂大明神」と称していた。一説には、現在二宮神社(柏原市安堂町19-9。大正時代に2社を合祀して現在地に遷座)のある地が「字白坂」であることから、元の宿奈川田神社の鎮座地であるという。そのため、二宮神社も式内・宿奈川田神社の論社とされているが、二宮神社では式内社とは称していない。


祭神 :素盞嗚尊
配祀:武甕槌尊、經津主命、天兒屋根命、比賣大神


所在地 :大阪府柏原市高井田661番地(府道183号線沿い)
アクセス:JR高井田駅下車すぐ。





👇この神社から近くに「高井田横穴公園」「柏原市市立歴史資料館」があります。