kazu2000のブログ / 社寺仏閣巡り

神社が好きで関西を中心に廻っています。kazu1000のブログ記事が満杯になりましたので、このkazu2000より引き続き投稿致します。

【水呑地蔵院】(みずのみじぞういん)大阪府八尾市

【水呑地蔵院】(みずのみじぞういん)大阪府八尾市


八尾市の東北部、十三峠に至る十三街道を上がり、峠まで八分目ぐらいの場所に位置する。斜面から張り出して本堂が建ち、その北側には鐘楼、南側には弘法水の小堂がある。 本堂からは大阪平野の広範囲を見渡すことができる。 本堂内に「水呑地蔵」と呼ばれる石造地蔵菩薩像が安置されている。縁起によれば地蔵菩薩は承和3年(836年)に僧 壱演により、この地に安置されたという。現在の地蔵菩薩像は元禄7年(1694年)に造立されたものである。 本堂の南側に小堂があり、その中の水壺から清水が湧き出ている。俗に「弘法水」とよばれ、空海(弘法大師)が十三峠を越える旅人のために祈願して得た霊水と伝えられている。ここの湧水は脚気などに効能があると言い伝えられ、現在でも霊水を汲みに訪れる人々で賑わっている。当地から峠にかけて、「大阪府民の森 みずのみ園地」が広がっている。麓の神立地区にある「神立辻地蔵」の祠の前から当地までの旧街道沿いには、33箇所、66体の地蔵像が一定間隔で安置されている。



所在地:大阪府八尾市大字神立
アクセス:近鉄「服部川」駅から徒歩約60分


【水呑地蔵】(みずのみじぞう)までのハイキングコースに「神立茶屋辻」(こうだちちゃやつじ)があります。




【神立茶屋辻】(こうだちちゃやつじ)
この街道はむかし大阪玉造と大和竜田を結ぶ重要な道筋にあたりこの辻には多くの茶屋が並んでいたのでその名があります。在原業平と茶屋娘の恋物語りで名高いところです。 「業平が峠を越え玉祖神社へ参詣の途中、福屋の娘梅野をみそめたが、ある夜東窓があいていたので中をのぞくと、娘が手づからでめしを食っているので、急に興ざめ逃げ帰った、娘は後を追ったが見あたらず悲んで渕に身を投げた。」この高安の里では、今でも東窓を忌み、これをあけると娘の縁が遠くなるという伝説があります。 この道を登ると水呑地蔵、十三峠がありあます。


【玉祖神社】(たまおやじんじゃ)大阪府八尾市神立 (3/3)

【玉祖神社】(たまおやじんじゃ)大阪府八尾市神立




八尾市東部・高安地区(恩智地区を除く旧高安郡13ヶ村)の氏神である。高安大明神ともいう。旧社格は郷社。710年(和銅3年)、周防国の玉祖神社から分霊を勧請したもので、その際、住吉津から上陸し、恩智神社に泊まった後、現在地に祀られたとされている。天明玉命(櫛明玉命)を祭神とする。 現在の社殿は、1725年(享保10年)の再建とされている。
かつては神宮寺として「薗光寺竹之坊」が参道の石段下の脇にあったが、明治維新後の神仏分離により廃寺となった。



2010年(平成22年)には鎮座1300年にあたり、そのための盛大な祭が行われた。
社宝にかつての御神体とされていた木造の男女神坐像があり、1965年(昭和40年)に大阪府重要美術品に指定されている。また、平安時代の歌人・在原業平が使用していたとされる笛が伝わっている。参道の石段の脇に大きなクスノキが生えている。1949年(昭和24年)に大阪府の天然記念物に指定されている。毎年7月中頃(15日、16日に近い土日)には各地区から布団太鼓が出て祭礼が行われている。本神社の少し北側を大阪市の玉造を起点とする十三街道が通り、かつては交通の要所となっていた。神社すぐ横で、神立茶屋辻付近から大字服部川の神光寺付近まで南北に通る農道(八尾農免道)の新設・拡張工事が行われていたが2010年に竣工している。










所在地 :大阪府八尾市大字神立443(八尾市神立5丁目5-93)


アクセス:近鉄「服部川」駅から徒歩約27分








【阪本研究所 SK laboratory】🌏 大阪府八尾市
ホームページ:https://kazuyoshi10000.wixsite.com/kazu1000
代表:Kazuyoshi Sakamoto
メールアドレス:kazuyoshi.sakamoto10000@gmail.com











#阪本研究所 #SK_laboratory #八尾市 #やおし #八尾 #やお

【玉祖神社】(たまおやじんじゃ)大阪府八尾市神立(2/3)

【玉祖神社】(たまおやじんじゃ)大阪府八尾市神立



八尾市東部・高安地区(恩智地区を除く旧高安郡13ヶ村)の氏神である。高安大明神ともいう。旧社格は郷社。710年(和銅3年)、周防国の玉祖神社から分霊を勧請したもので、その際、住吉津から上陸し、恩智神社に泊まった後、現在地に祀られたとされている。天明玉命(櫛明玉命)を祭神とする。 現在の社殿は、1725年(享保10年)の再建とされている。
かつては神宮寺として「薗光寺竹之坊」が参道の石段下の脇にあったが、明治維新後の神仏分離により廃寺となった。



2010年(平成22年)には鎮座1300年にあたり、そのための盛大な祭が行われた。
社宝にかつての御神体とされていた木造の男女神坐像があり、1965年(昭和40年)に大阪府重要美術品に指定されている。また、平安時代の歌人・在原業平が使用していたとされる笛が伝わっている。参道の石段の脇に大きなクスノキが生えている。1949年(昭和24年)に大阪府の天然記念物に指定されている。毎年7月中頃(15日、16日に近い土日)には各地区から布団太鼓が出て祭礼が行われている。本神社の少し北側を大阪市の玉造を起点とする十三街道が通り、かつては交通の要所となっていた。神社すぐ横で、神立茶屋辻付近から大字服部川の神光寺付近まで南北に通る農道(八尾農免道)の新設・拡張工事が行われていたが2010年に竣工している。







所在地 :大阪府八尾市大字神立443(八尾市神立5丁目5-93)


アクセス:近鉄「服部川」駅から徒歩約27分








【阪本研究所 SK laboratory】🌏 大阪府八尾市
ホームページ:https://kazuyoshi10000.wixsite.com/kazu1000
代表:Kazuyoshi Sakamoto
メールアドレス:kazuyoshi.sakamoto10000@gmail.com












#阪本研究所 #SK_laboratory #八尾市 #やおし #八尾 #やお

【玉祖神社】(たまおやじんじゃ)大阪府八尾市神立 (1/3)

【玉祖神社】(たまおやじんじゃ)大阪府八尾市神立



八尾市東部・高安地区(恩智地区を除く旧高安郡13ヶ村)の氏神である。高安大明神ともいう。旧社格は郷社。710年(和銅3年)、周防国の玉祖神社から分霊を勧請したもので、その際、住吉津から上陸し、恩智神社に泊まった後、現在地に祀られたとされている。天明玉命(櫛明玉命)を祭神とする。 現在の社殿は、1725年(享保10年)の再建とされている。
かつては神宮寺として「薗光寺竹之坊」が参道の石段下の脇にあったが、明治維新後の神仏分離により廃寺となった。




2010年(平成22年)には鎮座1300年にあたり、そのための盛大な祭が行われた。
社宝にかつての御神体とされていた木造の男女神坐像があり、1965年(昭和40年)に大阪府重要美術品に指定されている。また、平安時代の歌人・在原業平が使用していたとされる笛が伝わっている。参道の石段の脇に大きなクスノキが生えている。1949年(昭和24年)に大阪府の天然記念物に指定されている。毎年7月中頃(15日、16日に近い土日)には各地区から布団太鼓が出て祭礼が行われている。本神社の少し北側を大阪市の玉造を起点とする十三街道が通り、かつては交通の要所となっていた。神社すぐ横で、神立茶屋辻付近から大字服部川の神光寺付近まで南北に通る農道(八尾農免道)の新設・拡張工事が行われていたが2010年に竣工している。







所在地 :大阪府八尾市大字神立443(八尾市神立5丁目5-93)




アクセス:近鉄「服部川」駅から徒歩約27分








【阪本研究所 SK laboratory】🌏 大阪府八尾市 
ホームページ:https://kazuyoshi10000.wixsite.com/kazu1000
代表:Kazuyoshi Sakamoto
メールアドレス:kazuyoshi.sakamoto10000@gmail.com






#阪本研究所 #SK_laboratory #八尾市 #やおし #八尾 #やお