kazu2000のブログ / 社寺仏閣巡り

神社が好きで関西を中心に廻っています。kazu1000のブログ記事が満杯になりましたので、このkazu2000より引き続き投稿致します。

【斑鳩神社】(いかるがじんじゃ)奈良県生駒郡斑鳩町

【斑鳩神社】(いかるがじんじゃ)は奈良県生駒郡の神社。法隆寺の北東の天満山に位置し、菅原道真を祀る。法隆寺鎮守4社の1つで寺の鬼門の守護神とされ、現在も関係が深い。




天慶年間に法隆寺の管主で菅原氏の湛照が創祀し、元亨4年(1324年)に僧・慶祐が社殿を造営したとの記録がある。当初は天満山の西麓に位置し境内に如法経堂という堂があったが、寛文年間に火災で全焼した。


寛文8年(1668年)に神殿が再建された後、水害のため享保10年(1725年)に現在と同じ山上に移ったと伝えられる。1869年(明治2年)には、法隆寺境内にあった総社明神、五所明神、白山権現が遷祀された。



所在地:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1丁目11番



斑鳩町について


斑鳩町には、聖徳太子が造営した宮殿「斑鳩宮(いかるがのみや)」がありました。太子は605年にはそこに移り住んだといわれています。


そして、斑鳩宮の西方には聖徳太子が建立した法隆寺、また尼寺として建てられた中宮寺、聖徳太子が法華経を講じた岡本宮の跡地に建立された法起寺など、太子ゆかりの寺院があります。


また、太子の愛馬である黒駒を葬ったとされる駒塚古墳、黒駒の世話をしていた調子麿の墓とされる調子丸古墳などもあります。このように斑鳩町は、聖徳太子とのゆかりが深い町であるといえます。



斑鳩宮(いかるがのみや)


大和川の支流・富雄川の西岸の平地に築かれた宮殿で、推古天皇9年(601)から聖徳太子によって現在の法隆寺東院伽藍の辺りに造営されました。


造営中の推古天皇12年(604)4月3日、聖徳太子は臣下を斑鳩宮に集め、日本初の成文法となる十七条憲法の草案を発表しています。




また、推古天皇15年(607)には斑鳩宮の西方に法隆寺を建立しています。聖徳太子の薨去後は、太子の王子の山背大兄王一族が住んでいましたが、皇極天皇2年(643)に宮は焼き払われ、山背大兄王一族も法隆寺で自決に追い込まれました。



斑鳩宮があった法隆寺東院伽藍に建つ夢殿(国宝)👇
夢殿は奈良時代に聖徳太子を偲んで建てられたもの。


夢殿(国宝)





◆近郊の神社👇




◆近郊の「法隆寺」👇


◆近郊の「法起寺」👇



◆近郊の「中宮寺跡」👇