kazu2000のブログ / 社寺仏閣巡り

神社が好きで関西を中心に廻っています。kazu1000のブログ記事が満杯になりましたので、このkazu2000より引き続き投稿致します。

【手向山八幡宮】(たむけやまはちまんぐう)【東大寺 法華堂 経庫】三月堂や手向山八幡宮に囲まれた位置にある「校倉造」

奈良市街東部の手向山麓に位置します。手向山は紅葉の名所として知られ、古今和歌集では菅原道真が「このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」と詠んでいます。


東大寺大仏殿前の道を東に行った正面に位置し、すぐ北には東大寺法華堂(三月堂)があります。


天平勝宝元年(749年)、東大寺及び大仏を建立するにあたって宇佐八幡宮より東大寺の守護神として勧請されました。


八幡宮からの分社では第一号。当初は平城宮南の梨原宮に鎮座し、後に東大寺大仏殿南方の鏡池付近に移座しましたが、治承4年(1180年)の平重衡による戦火で焼失、建長2年(1250年)に北条時頼が現在地に再建。当初の鎮座地とされる梨原宮の所在地は未詳ですが、奈良市役所近くにある平城京左京三条二坊庭園跡庭園がその跡ともいわれています。


創建以来、東大寺に属しその鎮守社とされてきましたが、明治の神仏分離の際に東大寺から独立しています。




住所:奈良県奈良市雑司町434



アクセス:
JR奈良駅から奈良交通の市内循環バスに乗車、「大仏殿春日大社前」下車。徒歩15分。
近鉄奈良駅から徒歩30分。




手向山神社

東大寺法華堂(とうだいじほっけどう)は、奈良県奈良市の東大寺にある奈良時代(8世紀)建立の仏堂である。一般に三月堂(さんがつどう)として知られる。日本の国宝に指定されている。東大寺に現存する数少ない奈良時代建築の1つであり、堂内に安置する10体の仏像も奈良時代の作。





東大寺法華堂経庫


二月堂や三月堂(法華堂)、四月堂などが位置する東大寺の古き良き風情を体感して頂ける「上院」エリアの一角、かつての東大寺鎮守神である「手向山八幡宮」にも隣接する位置にある建物(重要文化財)です。


建物は正倉院などを同じく、いわゆる「校倉造」の建築様式となっており、その建立は奈良時代もしくは平安初期にまで遡ると言われています。東大寺の境内地において、奈良時代周辺に建てられた建築が残っているケースは、正倉院、転害門及び三月堂(後に大規模な改築を受けている)など一部に留まっており、この経庫も知名度は高くないものの、貴重な建築と言える存在になっています。






なお経庫は、かつては「校倉造」の代表建築である正倉院の近くに設置されていましたが、鎌倉時代には大規模な修理が施されたりした後、江戸時代の元禄期になると現在の位置に「手向山八幡宮」の宝蔵として移築されたという経歴を有しています。その後はしばらく手向山八幡宮に帰属していましたが、明治の廃仏毀釈の折に、再び東大寺に帰属する建物となったとされています。ちなみに、この経庫の40メートルほど南側の位置には、手向山八幡宮の「宝庫」が別途設けられており、こちらも同じような建築様式で、やはり奈良時代頃に創建されたものと考えられています。


なお、この経庫をめぐっては江戸時代に二月堂の絶対秘仏である「十一面観音」が火災の際に破損して「光背」の一部が行方不明となった後、明治になりこの経庫で発見されたというエピソードも知られています。現在は庫内には東大寺の住職となる際の試験に用いられる巨大な「論議台」と呼ばれる設備が収蔵されています。



東大寺 法華堂 経庫



東大寺 法華堂 経庫


奈良交通バス


・JR、近鉄奈良駅から「市内循環外回り」「山村町」「藤原台」「鹿野園町」「奈良佐保短期大学」行き乗車、「東大寺大仏殿・春日大社前」下車、北東に徒歩14分、または「春日大社本殿」行き乗車、「東大寺大仏殿」下車、北東に徒歩13分




◆すぐ近くに「春日山」があります👇