kazu2000のブログ / 社寺仏閣巡り

神社が好きで関西を中心に廻っています。kazu1000のブログ記事が満杯になりましたので、このkazu2000より引き続き投稿致します。

【大聖勝軍寺】(だいせいしょうぐんじ)/ 聖徳太子の古戦場、物部守屋と蘇我馬子の激戦地

【大聖勝軍寺】(だいせいしょうぐんじ)大阪府八尾市


大阪府八尾市の旧奈良街道に面して建つ高野山真言宗の仏教寺院。山号は神妙椋樹山。 開基は聖徳太子、本尊は植髪太子(聖徳太子)。



聖徳太子建立三太子の一つで、叡福寺の「上の太子」、 野中寺の「中の太子」に対して、「下の太子」と呼ばれ、地元では単に「太子堂」と呼ばれています。


聖徳太子(しょうとくたいし)が物部守屋(もののべのもりや)を滅ぼすにあたって、信貴山の毘沙門天(びしゃもんてん)に祈願し四天王(してんのう)をまつり、その加護により戦に勝ったので、この寺を建てたと伝わっています また、大聖勝軍寺の境内には神妙椋と馬蹄石、物部守屋の首を洗ったとされる守屋池が残され、四天王像などの重要な仏像などを所蔵する


【大聖勝軍寺】(だいせいしょうぐんじ)より国道25号線を100m程東に進んだところに【物部守屋の墓】があります。






【大聖勝軍寺】(だいせいしょうぐんじ)大阪府八尾市 *Blog貼付用





■ 八尾市と物部守屋


八尾市はかつて、大和と河内や摂津とを結ぶ交通の要所であり、古代史最大の軍事氏族である物部守屋大連の本拠があった地域。




■ 物部守屋とは?



物部氏は飛鳥時代の大連(おおむらじ:大豪族)で、天皇家を除いて「天孫降臨」「国見」の逸話をもつ唯一の氏族。神武天皇よりも前に天磐船(あめのいわふね:神が天から降りる際の乗り物)により大和入りをした鐃速日命(にぎはやひのみこと)を祖先とする。鐃速日命は登美夜須毘売(とみやすびめ)を妻とし、物部の初代の宇摩志痲遅命(うましまじのみこと/可美真手命:うましまでのみこと)をもうけた。



元々は兵器の製造・管理を主に管掌していたが、しだいに大伴氏と並ぶ有力軍事氏族へと成長。5世紀代の皇位継承争いで軍事的な活躍を見せ、雄略朝には最高執政官を輩出するようになった。物部氏は解部(とべ:司法・検察機関)を配下とし、刑罰、警察、軍事、呪術、氏姓などの職務を担当し、盟神探湯(くかたち:古代日本の裁判)の執行者となった。



守屋の父は物部尾輿(もののべのおこし)、母は弓削の連の祖・倭古の娘(阿佐姫)。その弓削連の本拠地は河内国若江郡弓削郷(現在の大阪府八尾市)である。




物部一族「栗栖氏」の氏神様【八尾神社】(やおじんじゃ)大阪府八尾市