kazu2000のブログ / 社寺仏閣巡り

神社が好きで関西を中心に廻っています。kazu1000のブログ記事が満杯になりましたので、このkazu2000より引き続き投稿致します。

【御剱神社】(みつるぎじんじゃ)「老原」大阪府八尾市

【御剱神社】(みつるぎじんじゃ)「老原」大阪府八尾市


御祭神は「素戔嗚尊」(すさのおのみこと)。 由緒については、「長瀬川上流左岸と了意川(現平野川)上流右岸に位置するこの地は早くから拓け、古くから農作に從うもの現れ、豊穣の神といわれた素戔嗚尊を祀り氏神として豊作をねがったのである。老原は、奈良朝期から存在していたと伝えられている。この神社の創祀は未詳であるが、当南老原定善寺が大永二年(一五二二年)の創建と記録されていることから、それより久しく以前であることは確かであろう。現在の灯籠が最も古く享保十三年(一七二八年)次いで鳥居が文化十一年(一八一四年)に建立されており、旧社殿もこの頃再建されたと思われるが、昭和三十六年(一九六一年)の台風渦で倒壊、その後仮殿となっていたが、このたび氏子中の総意により新しく造営されたものである。」



住所:大阪府 八尾市老原7丁目
アクセス:JR「志紀」駅から徒歩約27分/近鉄バス「田井中」から徒歩約15分






【杵築神社】(きづきじんじゃ)「老原」大阪府八尾市

【 杵築神社】(きづきじんじゃ)「老原」大阪府八尾市


神社創建の年代は不明。往古、大和川は八尾の地を北流し、旧淀川に合流して大阪湾に注いでいた。当時は度々洪水が起りこの地の住民は塗炭の苦しみを受けていたので、小祠を建立し神のご加護を願ったのが始と云われている。宝永元年(一七〇四)大和川の付替工事が完成し、以降洪水の被害も無く、平穏安泰の地となったので住民達は神恩を感謝して新しく社殿を建立し、こヽに東老原村の氏神としての杵築神社の誕生を見ることになる。時に安永五年(一七七六)。明治四年(一八七一)太政官布告によって村社に列せられる。次いで明治三十九年(一九〇六)神社合祀令が発布され、道明寺村郷社土師神社に合祀される。大正十二年(一九二三)村民の寄進によって社殿の修理、境内の整備を行い、御神体を迎え旧に復して現在に至る。然し乍ら、幾星霜の歳月を経て社殿の損傷甚だしきため、此度氏子中の奉賛を得て、茲に本殿・拝殿並びに社務所を修造し奉る。


「御祭神」
 主祭神 素戔嗚尊(すさのをのみこと)(五穀豊穣・厄病祓の神)
 相殿神 天児屋命(あめのこやねのみこと)(融和の神)
     天満天神(てんまてんじん)(学問と農耕の水の神)
     塩椎神(しおつちのかみ)(陸海路守護の神)
     白山媛命(しらやまひめのみこと)(心の和の神)
「摂社」
 皇大神宮
     天照大神(あまてらすおおみかみ)(皇室の祖神)
     豊受大神(とようのおおかみ)(五穀を司る神)
「末社」
 稲荷神社 
     宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)(各種産業の神)


住所:大阪府八尾市老原2丁目
アクセス: JR「八尾」駅から徒歩約22分







【樟本神社】(くすもとじんじゃ)「南木本」大阪府八尾市

【樟本神社】(くすもとじんじゃ)は、大阪府八尾市にある神社。延喜式神名帳に「樟本神社 三座 鍬靱 河内国志紀郡鎮座」と記される式内社であり、現在の八尾市木の本(旧丹北郡)、北木の本、南木の本(旧志紀郡)の3箇所に鎮座している。創建の年代は不詳であるが、古墳時代以前に遡ると考えられる。祭神は、古来は木霊とされるが、のち、布都大神、饒速日命。 当地が物部氏の旧領地であり、用明天皇の時代に物部守屋が守護神として崇めていた神々を持ち込んだと考えられる。


最初は木本村に三座あったが、北木本が分村し、さらに南木本が分村してそれぞれに一座ずつ分けられた。


【樟本神社】(くすもとじんじゃ)「南木本」


旧大阪中央環状線 木本交差点から少し南の市道(旧八尾藤井寺線)沿い西側に位置する。境内北側に社殿がある。境内南側に黄檗宗の仏教寺院である日羅寺があり、本尊は薬師如来像。敏達天皇が百済から呼び戻した日羅にここの土地を与え、日羅はこの地に寺を建立し、薬師如来像を安置したと伝えられる。





【樟本神社】(くすもとじんじゃ)「北木本」大阪府八尾市

【樟本神社】(くすもとじんじゃ)は、大阪府八尾市にある神社。延喜式神名帳に「樟本神社 三座 鍬靱 河内国志紀郡鎮座」と記される式内社であり、現在の八尾市木の本(旧丹北郡)、北木の本、南木の本(旧志紀郡)の3箇所に鎮座している。創建の年代は不詳であるが、古墳時代以前に遡ると考えられる。祭神は、古来は木霊とされるが、のち、布都大神、饒速日命。 当地が物部氏の旧領地であり、用明天皇の時代に物部守屋が守護神として崇めていた神々を持ち込んだと考えられる。



最初は木本村に三座あったが、北木本が分村し、さらに南木本が分村してそれぞれに一座ずつ分けられた。



【樟本神社】(くすもとじんじゃ)「北木本」


旧大阪中央環状線(旧八尾藤井寺線)沿い西側に位置する。境内に物部守屋の首を洗ったと伝わる直径約3mの池がある。境内中央に児童公園があり、奥に小さな社殿がある。三社のうちでは最も規模が小さい。




【樟本神社】(くすもとじんじゃ)「木本」大阪府八尾市

【樟本神社】(くすもとじんじゃ)は、大阪府八尾市にある神社。延喜式神名帳に「樟本神社 三座 鍬靱 河内国志紀郡鎮座」と記される式内社であり、現在の八尾市木の本(旧丹北郡)、北木の本、南木の本(旧志紀郡)の3箇所に鎮座している。創建の年代は不詳であるが、古墳時代以前に遡ると考えられる。祭神は、古来は木霊とされるが、のち、布都大神、饒速日命。 当地が物部氏の旧領地であり、用明天皇の時代に物部守屋が守護神として崇めていた神々を持ち込んだと考えられる。


最初は木本村に三座あったが、北木本が分村し、さらに南木本が分村してそれぞれに一座ずつ分けられた。


【樟本神社】(くすもとじんじゃ)「木本」
木の本一丁目の旧木本集落内に鎮座する。南木本の楠本神社からひとつ南の辻を西へ辻二つ分進んだところにある。