kazu2000のブログ / 社寺仏閣巡り

神社が好きで関西を中心に廻っています。kazu1000のブログ記事が満杯になりましたので、このkazu2000より引き続き投稿致します。

【植槻八幡神社】(うえつきはちまんじんじゃ)奈良県大和郡山市

【植槻八幡神社】(うえつきはちまんじんじゃ)奈良県大和郡山市



外観はお寺のようです。主祭神は、誉田別命 (ほんだわけのみこと)。 


由緒については、「旧郡山地区の植槻町集落の東端に鎮座、誉田別命を祀る。旧村社。創祀は明らかでないが、奈良時代の古刹植槻寺の東に位置し、同寺の鎮守であったと見られている。応永十三年(1406)の法華寺田畑本券に、ウエツケニノ宮前の三反が、右京九条三坊五坪内にあるとされ、条坊からウエツケノ宮は当社に当たる。境内に八幡神社(応神天皇)・神明神社(天照大神)の境内社がある。」




応神天皇(おうじんてんのう、仲哀天皇9年12月14日 - 応神天皇41年2月15日)は第15代天皇(在位:応神天皇元年1月1日 - 同41年2月15日)。『日本書紀』での名は譽田天皇。実在性は定かでないが八幡神として神格化されている。





住所:奈良県大和郡山市植槻町5-2


アクセス:近鉄橿原線「九条駅」から直線約630m(徒歩約15分)





◆近郊の神社など👇




【郡山八幡神社】(こおりやまはちまんじんじゃ)奈良県大和郡山市

【郡山八幡神社】(こおりやまはちまんじんじゃ)は奈良県大和郡山市にある神社。聖武天皇の勅命により、東大寺大仏の鋳造が完成した天平勝宝元年(749年)に、 東大寺大仏の守護神として宇佐八幡神を勧請されることになりました。



『続日本書紀』によると同年12月18日に、宇佐八幡神を平群郡に迎え、27日に京に入り、京南の梨原宮に新殿を造って神宮としたとなっています。



京入りの前日、和州薬師寺門前の休ヶ丘で一泊されました。時の豪族中尾氏は勧請し、柳八幡大菩薩と尊崇し小高き丘の上、天高くそびえ立つ老木の松の根方に斎祀申し上げ、この地を”柳”と命名しました。



奈良県の宇佐八幡宮系の宮では一番古く、現在大和郡山市の神社のうちでも、ただ一社の氏神神社。




東大寺の大仏建立


奈良の大仏は聖武天皇の発願で天平17年(745年)に制作が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会(かいげんくようえ)が行われました。




大仏を作るために使われた金属は銅499.0トン、すず8.5トン、金0.4トン、水銀2.5トン。


聖武天皇は疫病や社会不安から国を鎮護するための国家的大事業として東大寺を建立していましたが、天皇が沢山の費用を使って仏教寺院を建立すれば、貴族からどんな反対の意見が出るかもしれません。



このような状況下、宇佐八幡神から「われ天神地祇(てんしんちぎ)を率(ひき)い、必ず成し奉(たてまつ)る。銅の湯を水となし、わが身を草木に交(まじ)えて障(さわ)ることなくなさん」という協力の託宣が出されました。


八幡神は天の神、地の神を率いて、わが身をなげうって協力し、東大寺の建立を必ず成功させるため、聖武天皇にとって、これほど心強いことはありません。





所在地:奈良県大和郡山市柳4丁目25番地



アクセス:近鉄郡山駅・徒歩5分











◆大和郡山市内神社👇

旧奈良県立図書館(城址会館)/ 「郡山城」展望施設

明治41年に奈良県最初の県立図書館として奈良公園内(現在の県庁の南側)に建てられたもので、昭和43年に郡山城内に移築されました。


設計は奈良県技師の橋本卯兵衛が行いました。旧高市郡教育博物館(橿原市所在、明治36年竣工)も彼が設計したもので、類似した外観をもっています。


本館は木造2階建、入母屋造<いりもやづくり>、千鳥破風<ちどりはぶ>付きの主棟と、その両側に平屋建、切妻造<きりづまづくり>の翼部を配した左右対称の構成をとっています。木骨構造に和風の外観と洋風の内装を施した建物で、外観には日本の伝統建築の意匠が多く採用されています。県内の数少ない近代和風建築の中でもとりわけ重要な建物です。




所在地:奈良県大和郡山市城内町2

















大和郡山市のシンボル「郡山城」展望施設


崩落の恐れがあった天守台の石垣の修復と展望施設の整備を、平成25年度から4年をかけて実施。
展望施設からは、大和郡山のまちなみとともに、平城京大極殿・薬師寺・若草山までのぞむことができます。
築城400年余の歴史を感じながら、郡山城を彩る春の桜、秋の紅葉、早春の梅などと眺めることができます。



展望施設 利用時間
10月~3月:7時~17時
4月~9月:7時~19時


行事等により時間が異なる場合があります。
「大和郡山 お城まつり」開催期間中は、利用時間を21時まで延長。18時から天守台ライトアップも行います。


展望施設への行き方
(住所:大和郡山市城内町・柳澤神社北側)


柳澤神社境内を通り、奥へ進むと天守台があります。
登り口は、東側にある階段から(これまでどおり)。
途中の付櫓台からさらに登ると、展望施設のある天守台上面にたどり着きます。



郡山城跡 (こおりやまじょうせき)


織田信長の時代に、筒井順慶が築城。豊臣秀吉の時代に、豊臣秀長が百万石の居城とし、大幅に拡張された。江戸時代には郡山藩がおかれ、水野氏、松平氏、本多氏などの統治の後、柳澤氏が入り幕末まで続いた。明治維新後、多くの建物は破却されたが、近年、追手門・櫓・天守台などが修復・整備され、城跡に一段と風格を添えている。「続日本100名城」(財団法人日本城郭協会)に認定されている。


城跡は桜の名所としても有名で、満開の桜のもとで開催される「大和郡山お城まつり」は多くの人々で賑わう。








大和郡山市のシンボル「郡山城」展望施設 *Blog貼付用動画




【柳澤神社】(やなぎさわじんじゃ)奈良県大和郡山市 / 郡山城跡

【柳澤神社】(やなぎさわじんじゃ) 奈良県大和郡山市 / 郡山城跡



【柳澤神社】(やなぎさわじんじゃ)は、立身出世・学問の神、柳澤吉保を祀った神社です。奈良県大和郡山城の本丸跡にあり、五代将軍綱吉の側用人で柳澤家中興の祖・柳澤吉保公を祀っています。




吉保公は川越甲府城主となり、御子の吉里公が国替で甲府より転じ、十五万石をもって郡山城に入城しました。


以来明治維新まで金魚の養殖をはじめ、さまざまな恩恵を与えてきた功績を称え、明治13年(1880)、藩士によって、神社が創建されました。その時に神社周辺に植えられた数百株の桜の木が、今では名所の一つとなっています。






住所:奈良県大和郡山市城内町2-18



アクセス:JR郡山駅から徒歩約15分。近鉄大和郡山駅から徒歩約10分





大和郡山市のシンボル「郡山城」展望施設 *Blog貼付用動画




旧奈良県立図書館(城址会館)/ 「郡山城」展望施設👇






*大和郡山市内の神社👇






【八幡宮熊野神社】(はちまんぐうくまのじんじゃ)奈良県大和郡山市本庄町

大和郡山市本庄町の「八幡神社」と「熊野神社」の2社を祭祀している宮座。


明治3年の築造の本殿を改築。
平成23年5月に荒れていた八幡宮を整備された本庄町です。


鳥居の建之、二基の大燈籠、拝殿の改築、手水舎など。神社の西燈籠には「嘉永五年(1852)二月吉日建之」の刻印が見られます。




住所:奈良県大和郡山市本庄町10





◆神社近郊の通りで見つけた地蔵👇





*大和郡山市内の神社👇