【神宮寺 感応院】(じんぐうじ かんのういん)大阪府八尾市 天川山感応院と称し真言宗高野山普門院末。古くは恩智神社の神宮寺として神社の境内にあった。 本尊の十一面観音像は国の重要文化財また絹本着色不動明王像は府の重要美術品としてそれぞれ指定されており、慈雲尊者裏書の十六善神像など寺宝が多い。 本堂... 続きをみる
旅行のブログ記事
旅行(ムラゴンブログ全体)-
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恩智左近満一の出身地などについてはいくつかの説がありますが、恩智神社の社家の出で、この地の豪族として恩智城を築き、楠木正成方に味方した八臣の一人。 湊川の戦の後は、その子正行を助けて南朝方を守りましたが不幸にして延元2年(1337年)7月熱病のため急死。 傍の墓碑十六基は明治10年の西南戦争に官軍... 続きをみる
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河内のコリアン寺院【平和山不動院】(へいわざんふどういん)大阪府八尾市
河内のコリアン寺院【平和山不動院】(へいわざんふどういん)大阪府八尾市 大阪府八尾市の立石越ハイキング道登リ口の奥にある寺院。平和山不動院と刻まれた石柱が立っています。そこを越えると、「結縁地藏堂」があります。この地蔵堂の横の道をさらに奥に行きます。民家のような建物が見えてきます。そこが【平和山不... 続きをみる
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大阪府八尾市のコリアン寺院 ・平和山不動院へいく登り坂の途中に駐車場があります。その駐車状の近くに「鉄パイプ製の鳥居と石仏が鎮座しています。詳細不明です。 鉄パイプ製は、2本づつ3か所、石物の前に立っています。赤いペンキで塗られた鳥居は大部分の塗装が剥げています。石に朝鮮人の名前が刻まれたりしてい... 続きをみる
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【由義神社】(ゆぎじんじゃ) は大阪府八尾市八尾木に鎮座します。 由緒については、「由義神社は 由義宮(西の京)に、神護景雲(じんごけいうん)三年(七六九)稱徳(しょうとく)天皇たびたびこの地に行幸され、その宮域は若江、大縣、高安三郡にまたがる広域の中心由緒深い宮跡に、広大な氏地と氏子により崇敬(... 続きをみる
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【天王社】(てんのうしゃ)大阪府八尾市郡川 八尾市郡川に【天王社】(てんのうしゃ)があります。坂の脇道を通り、この社は雑木に囲まれていて分かり難い静寂な雰囲気の場所に鎮座しています。鳥居、本殿、手水鉢、狛犬も1対あります。社の前の狛犬は、銘文年代が天保10年(1839)となっており、阿(あ)が左側... 続きをみる
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「高野山高安・新四国八十八ヶ所」「本尊薬師瑠璃光如来」「岩谷弘法大師尊」① 大阪府八尾市
【高野山高安・新四国八十八ヶ所】【本尊薬師瑠璃光如来】【岩谷弘法大師尊】①大阪府八尾市 大阪府八尾市大字教興寺に「天照大神高座神社」(あまてらすおおみかみたかくらじんじゃ) と 「岩戸神社」(いわとじんじゃ)があります。この2つの神社へ向かう参道の途中に【高野山高安・新四国八十八ヶ所】【本尊薬師瑠... 続きをみる
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【本照寺】(ほんしょうじ)大阪府八尾市 近鉄「信貴山口」駅から近い大阪府八尾市黒谷に日蓮宗【本照寺】(ほんしょうじ)があります。 由緒については、境内に「本照寺復興之碑」があります。そこには次のように記されています。 「永録元年 開基光要院日○上人にして創立する。寳永二年 正徳、寳歴年間に再度の火... 続きをみる
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【梅岩寺】(ばいがんじ)大阪府八尾市 黄檗宗の仏教寺院。山号は「寿福山」。本尊は聖観音。河内西国巡礼三十三か所第十四番。587年(用明天皇2年)聖徳太子による開基と伝えられています。近くにある「教興寺」と同様、日本で最も古い仏教寺院の一つとされ、もとは「教興寺」の塔頭であったといわれています。 仏... 続きをみる
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恩智左近満一の出身地などについてはいくつかの説がありますが、恩智神社の社家の出で、この地の豪族として恩智城を築き、楠木正成方に味方した八臣の一人。 湊川の戦の後は、その子正行を助けて南朝方を守りましたが不幸にして延元2年(1337年)7月熱病のため急死。 傍の墓碑十六基は明治10年の西南戦争に官軍... 続きをみる
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【シュミイ地蔵】(しゅみいじぞう) 大阪府八尾市 東高野街道沿いの「恩智城址」(おんじじょうし)への登り口脇にある地蔵です。名前の由来は不明。地元恩智の有志が結集して菩提追善のため、彼岸の中日に建立したもの。高さ一三六センチメートル、幅六七センチメートル材質は花崗岩。像の左右に次の銘文がようやく読... 続きをみる
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大阪府八尾市の恩智惣池がある場所の隅に鎮座する正体不明の「稲荷神社」です。由緒等は不明。綺麗に管理されているようです。 場所:大阪府八尾市恩智中町 アクセス:恩智神社を出てさらに山へ向かって約5分ほど登った場所に恩智惣池があります。 恩智惣池に鎮座する正体不明の「稲荷神社」
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【貝塚地蔵尊】(かいづかじぞうそん)大阪府八尾市 大阪府八尾市山本町北の公園のところに【貝塚地蔵尊】(かいづかじぞうそん)があります。案内板には次のように書かれてあります。 「江戸時代の中頃(宝永元年・1704年)に大和川が付け替えられるまでは玉串川は幅の広い川でした。地蔵があるこのあたりは、旧福... 続きをみる
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【三十八神社】(みそやじんじゃ)大阪府八尾市 西向き本殿・拝殿が、拝殿の左右に末社あります。この【三十八神社】(みそやじんじゃ)が福万寺城の跡で、南北朝時代の文和年間(1352年~1355年)佐々木盛綱の8代の子孫の佐々木二郎盛恵の居城であったと伝えられています。境内には案内板があり次のように... 続きをみる
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【万願寺御領 八幡神社】 (まんがんじごうじょ やはたじんじゃ)大阪府八尾市
【万願寺御領 八幡神社】 (まんがんじごうじょ やはたじんじゃ)大阪府八尾市 この八幡神社の創建は不明であるが、述宝七未年(1679)の村明細帳に八幡宮や絵馬堂が 記載され除地として年貢が免除されている。さらに遡る文禄三年(1594)の所謂、太閤検地で境内地が免地であった記述もあり、 八幡神社の創... 続きをみる
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【樟本神社】(くすもとじんじゃ)は、大阪府八尾市にある神社。延喜式神名帳に「樟本神社 三座 鍬靱 河内国志紀郡鎮座」と記される式内社であり、現在の八尾市木の本(旧丹北郡)、北木の本、南木の本(旧志紀郡)の3箇所に鎮座している。創建の年代は不詳であるが、古墳時代以前に遡ると考えられる。祭神は、古来は... 続きをみる
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【樟本神社】(くすもとじんじゃ)は、大阪府八尾市にある神社。延喜式神名帳に「樟本神社 三座 鍬靱 河内国志紀郡鎮座」と記される式内社であり、現在の八尾市木の本(旧丹北郡)、北木の本、南木の本(旧志紀郡)の3箇所に鎮座している。創建の年代は不詳であるが、古墳時代以前に遡ると考えられる。祭神は、古来は... 続きをみる
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【樟本神社】(くすもとじんじゃ)は、大阪府八尾市にある神社。延喜式神名帳に「樟本神社 三座 鍬靱 河内国志紀郡鎮座」と記される式内社であり、現在の八尾市木の本(旧丹北郡)、北木の本、南木の本(旧志紀郡)の3箇所に鎮座している。創建の年代は不詳であるが、古墳時代以前に遡ると考えられる。祭神は、古来は... 続きをみる
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【寶殿神社】(ほうでんじんじゃ)大阪府八尾市沼 当社は、室町時代河内守護職であった畠山氏の小山砦から鬼門の位置にあったので、その守護神として創建されたと伝えられ、沼の産土神である。本殿は一間社流造で覆屋内に鎮座し江戸時代初期のもので、市内に残存する古い建築様式の一つであり同時代のものと考えられる珍... 続きをみる
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【穴太神社】(あのうじんじゃ)大阪府八尾市 河内国若江郡の穴太邑が当地で、『姓氏録』未定雑姓の河内国にみえる孔王部首(あなほべのおびと)氏の住地でもありました。 穴太は現在、「あのう」と読まれています。祭神は、天照皇大御神、住吉四神(上筒男命・中筒男命・底筒男命・神功皇后)、春日四神(建御賀豆智命... 続きをみる
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【渋川神社】(しぶかわじんじゃ)は、大阪府八尾市植松町にある神社。 若江郡の式内社であり、旧社格は郷社。天忍穂耳尊、饒速日命、國狹槌尊、日高大神、菅原大神を祭神としている。創建の年月は不明。 かつて飛鳥時代に本地域を本拠地としていた物部守屋の渋河の家の跡ともいわれている。もとは旧大和川の東側の字川... 続きをみる
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【許麻神社】(こまじんじゃ)大阪府八尾市 式内社で、もと牛頭天王と称され、渋川六座の一である。この地は古く巨麻荘といい、河内国諸蕃の大狛連の住地で、その祖神をまつったと伝えられる。 境内の手洗いの屋形は、むかしの宮寺久宝寺観音院の鐘楼の名残りである。この寺は、聖徳太子の建立で、戦国時代に兵火に逢っ... 続きをみる
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【許麻橋地蔵】(こまばしじそう)大阪府八尾市 「許麻神社」(こまじんじゃ)の鳥居前の辻堂内にあるこの【許麻橋地蔵】(こまばしじそう)は、亡父の追善供養のために造顕されたもので、像の左右に次の銘文がある。爲景 慧 禅定門追善 天文廿一壬子四月 日孝子敬白 いまは安産地蔵といわれている。像は中央部で折... 続きをみる
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【八大龍王 日天寺】(はちだいりゅうおう にってんじ)京都市左京区北白川
【八大龍王 日天寺】(はちだいりゅうおう にってんじ)京都市左京区北白川 京都の北白川から比叡山の登山道路(通称:山中越え)の途中、白川を渡った中腹に【八大龍王 日天寺】(はちだいりゅうおう にってんじ)の看板が見えます。そのすぐ横に古びた赤い鳥居があり、「八大龍王」の額が掛かっています。かなり急... 続きをみる
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【北白川 身代り不動尊】(きたしらかわみがわりふどうそん)京都市左京区地蔵谷町
【北白川 身代り不動尊】(きたしらかわみがわりふどうそん)京都市左京区地蔵谷町 京都市左京区北白川の叡山ドライブウェイ沿い、白川に架かる小さな橋の向こうに【北白川 身代り不動尊】(きたしらかわみがわりふどうそん)があります。 寛政4年(1792)悪疫平癒を祈願し、宗鏡法師が地元の村人の寄進を集め... 続きをみる
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【岡崎神社】(おかざきじんじゃ)「うさぎ神社」京都市左京区 うさぎだらけのパワースポットが、京都市左京区にある【岡崎神社】(おかざきじんじゃ)です。祭神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、櫛稲田媛命(くしなだひめのみこと)。さらに二神から生まれた(三女五男八柱神)をお祀りしています。たくさんの子宝に... 続きをみる
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【北白川不動温泉】(きたしらかわふどうおんせん)京都市左京区地蔵谷町
【北白川不動温泉】(きたしらかわふどうおんせん)京都市左京区地蔵谷町 京都府と滋賀県の県境の霊峰比叡山麓の山深い位置、通称『山中越え』という峠道沿いに【北白川不動温泉】(きたしらかわふどうおんせん)があります。 周囲は京都市街地とは違って、鬱蒼とした広葉樹の広がる山の中です。昭和な建物にある看板に... 続きをみる
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【護王神社】(ごおうじんじゃ)京都市上京区 旧社格は別格官幣社。和気清麻呂と姉の和気広虫を主祭神とし、藤原百川と路豊永を配祀する。 護王神社は、和気氏の創建による高雄神護寺境内に作られた、和気清麻呂を祀った護王善神社に始まる。正確な創建の年代は不詳である。 和気清麻呂と姉の広虫は、宇佐八幡宮神託事... 続きをみる
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【稲生神社】(いなりじんじゃ)八尾市天王寺屋 八尾市天王寺屋の国道25号線沿いに鎮座する【稲生神社】(いなりじんじゃ)です。 この周囲は天王寺屋吉兵衛氏が開発した天王寺屋新田(てんのうじやしんでん)が地名の由来である地域です。長瀬川(旧久宝寺川)はJR線の東側にあります。 国道25号線沿いの天王寺... 続きをみる
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大阪府八尾市の光蓮寺の前に【稲城址】(いなきのあと)の石碑があります。 聖徳太子が物部守屋の館のあった阿都の桑市を攻めたとき、守屋は兵を集めて、この地に稲城を構えて抗戦したといわれます。 稲城は稲で囲った城とか、稲積みの城であったとか伝えられています。 この碑は昭和十四年建立されたものです。 住所... 続きをみる
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【樟本神社】(くすもとじんじゃ)は、大阪府八尾市にある神社。延喜式神名帳に「樟本神社 三座 鍬靱 河内国志紀郡鎮座」と記される式内社であり、現在の八尾市木の本(旧丹北郡)、北木の本、南木の本(旧志紀郡)の3箇所に鎮座している。 創建の年代は不詳であるが、古墳時代以前に遡ると考えられる。祭神は、古来... 続きをみる
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【八王子神社】(はちおうじじんじゃ)「常世岐姫神社」大阪府八尾市
【八王子神社】(はちおうじじんじゃ)「常世岐姫神社」大阪府八尾市 大阪府八尾市にある式内社で「常世岐姫神社」といったが地元では【八王子神社】(はちおうじじんじゃ)として親しまれている。古記録によれば宝亀七年(七七六)の夏河内國大県郡の人正六位上、赤染人足ら十三人に常世岐の姓を与えたという。この赤染... 続きをみる
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【神劔神社】(みつるぎじんじゃ)は二百二十五年以前の元文元年辰歳国分村反師枩井四郎兵衛らによって造営され素戔嗚命、保食神の二神を祀り田井中村の氏神として永く村民の尊敬を集め弥栄えてきた。 往時の旧大和川縁辺に当たる現東老原地区の五条宮跡附近から奈良朝時代の古瓦が発見されたことからみて 田井中村の発... 続きをみる
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【若倭姫神社】 ( わかやまとひめじんじゃ )大阪府柏原市 式内社。祭神 は若倭姫命。6世紀頃この地で繁栄した若倭部連の祖神を祀る神社。『旧事本紀天孫本紀』に、饒速日尊の五世の孫の建筒草命は建額赤命の子で、多治比連、津守連、若倭部連、葛木厨直の祖であると出ている。 『新選姓氏録』右京神別には、「若... 続きをみる
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【瑠璃光寺】(るりこうじ)は、大阪府柏原市山ノ井町にある仏教寺院。曹洞宗永平寺の末寺で山号は「医王山」。 正式には「医王山薬師院瑠璃光禅寺」と称する。天平年間に行基が開創、本尊の薬師如来像は行基の作と伝わる。かつては『七堂伽藍を具備せし巨刹なり』といわれ、大規模な寺院だったが、織田信長の信貴山城攻... 続きをみる
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【南禅寺】 (なんぜんじ)は、臨済宗南禅寺派大本山の寺院。山号は瑞龍山、寺号は詳しくは太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)である。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は亀山法皇、開山(初代住職)は無関普門(大明国師)。日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの... 続きをみる
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【南禅寺】 (なんぜんじ)は、臨済宗南禅寺派大本山の寺院。山号は瑞龍山、寺号は詳しくは太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)である。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は亀山法皇、開山(初代住職)は無関普門(大明国師)。日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの... 続きをみる
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【南禅寺】 (なんぜんじ)は、臨済宗南禅寺派大本山の寺院。山号は瑞龍山、寺号は詳しくは太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)である。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は亀山法皇、開山(初代住職)は無関普門(大明国師)。日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの... 続きをみる
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【南禅寺】 (なんぜんじ)は、臨済宗南禅寺派大本山の寺院。山号は瑞龍山、寺号は詳しくは太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)である。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は亀山法皇、開山(初代住職)は無関普門(大明国師)。日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの... 続きをみる
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【越中井】(えっちゅうい)は、大阪市中央区森の宮中央2丁目12にある史跡。細川家の当主である細川忠興の屋敷の台所があったと伝えられる場所で、「細川ガラシャ」最期の地として知られる。「越中井戸」(えっちゅういど)とも呼称される。 秀吉の死後の1600年、会津征伐において忠興が徳川家康に従って出征して... 続きをみる
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【玉造稲荷神社】(たまつくりいなりじんじゃ)大阪市中央区(2/2)
【玉造稲荷神社】(たまつくりいなりじんじゃ)大阪市中央区 旧社格は府社。 宇迦之御魂大神(稲荷神)を主祭神とし、下照姫命、稚日女命、月読命、軻偶突智命を配祀する。 社伝によれば垂仁天皇18年(紀元前12年)に創建され、当時は比売社と称していた。蘇我氏と物部氏の戦いの際、 蘇我氏方の聖徳太子がこの地... 続きをみる
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【玉造稲荷神社】(たまつくりいなりじんじゃ)大阪市中央区(1/2)
【玉造稲荷神社】(たまつくりいなりじんじゃ)大阪市中央区 旧社格は府社。 宇迦之御魂大神(稲荷神)を主祭神とし、下照姫命、稚日女命、月読命、軻偶突智命を配祀する。 社伝によれば垂仁天皇18年(紀元前12年)に創建され、当時は比売社と称していた。蘇我氏と物部氏の戦いの際、 蘇我氏方の聖徳太子がこの地... 続きをみる
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【鵲森宮】(かささぎもりのみや)大阪市中央区 式内社で、旧社格は府社。通称を「森之宮神社」(もりのみやじんじゃ)といい、周辺の地名である森之宮の由来となっている。 聖徳太子の両親である用明天皇・穴穂部間人皇后、および聖徳太子を主祭神として本社に祀り、奧社に天照大神・月読命・素盞嗚命を祀る。聖徳太子... 続きをみる
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【生國魂神社】(いくくにたまじんじゃ)大阪市天王寺区(2/2)
【生國魂神社】(いくくにたまじんじゃ)大阪市天王寺区 式内社(名神大社)。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。大阪市中心部、難波宮跡や大坂城(大阪城)から南西方の生玉町に鎮座する。かつては現在の大坂城の地に鎮座し、中世にはその社地に近接して石山本願寺も建立され繁栄したが、石山合戦後の豊臣... 続きをみる
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【生國魂神社】(いくくにたまじんじゃ)大阪市天王寺区(1/2)
【生國魂神社】(いくくにたまじんじゃ)大阪市天王寺区 式内社(名神大社)。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。大阪市中心部、難波宮跡や大坂城(大阪城)から南西方の生玉町に鎮座する。かつては現在の大坂城の地に鎮座し、中世にはその社地に近接して石山本願寺も建立され繁栄したが、石山合戦後の豊臣... 続きをみる
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【允恭天皇陵】(いんぎょうてんのうりょう)大阪府藤井寺市 洪積段丘の国府台地のうえに前方部を北に向けて造られた墳丘長230m、前方部幅160m、後円部径140mを測る前方後円墳です。墳丘は三段に築かれ、周りには、二重の濠が巡っています。 宮内庁によって允恭陵(恵我長野北陵)に指定されていますが、出... 続きをみる
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【道明寺盾塚古墳公園】大阪府藤井寺市 五世紀初頭の築造。帆立貝式前方後円墳。 全長約110メートル、墳丘長さ約73メートル、後円部径約46メートル、高さ約7.5メートル。前方部幅約20センチ、高さ約1.8メートル。。 造り出しと周濠も確認されている。出土品は鉄製武器・武具・農道具・鏡・玉類など。 ... 続きをみる
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【宿奈川田神社】(すくなかわたじんじゃ)「通称 :白坂神社」大阪府柏原市
【宿奈川田神社】(すくなかわたじんじゃ)大阪府柏原市 式内社で、旧社格は村社。地元では通称 「白坂神社」と呼ばれ、地図や看板でもそのように表記されている。 宿奈彦根命・高皇産霊命・級戸辺命を主祭神とする。『神社覈録』や『特選神名牒』では「祭神不詳」となっている。 創建の由緒は不詳である。近くにある... 続きをみる
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【長瀬神社】(ながせじんじゃ)大阪府東大阪市 由緒 :明治の神社合祀令に基づき、大正元年に長瀬村各大字の神社を合祀し、長瀬神社を創建した。 北蛇草の蛇斬神社「素盞嗚尊、菅原道真」 天神社「少彦名伝」 波牟古曽神社「伊弉諾尊、伊弉册尊」 柏田の白山神社「菊理姫大神、品陀和気神」 衣摺神社「素盞嗚尊... 続きをみる
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【彌刀神社】(みとじんじゃ:弥刀神社)大阪府東大阪市 祭神は速秋津日子神・速秋津比売神という水戸(港)や河口の神であり、鎮座地の近江堂という地名は大水戸が転訛したものであるといわれています。創建は不明ですが、762年(天平宝字6年)には大和川(現在の長瀬川)の洪水で長瀬堤が決壊したことにより社殿が... 続きをみる
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「高井田横穴公園」(たかいだよこあなこうえん)は、JR高井田駅の北側にある国の史跡・高井田横穴群を保存・公開する公園です。この公園敷地内に【柏原市立歴史資料館】があります。 「高井田横穴」は、凝灰岩の岩盤に洞窟を掘って築造された古代の墓で、6世紀中頃から7世紀前半にかけて造られ、総数は200基以上... 続きをみる
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「若江城」(わかえじょう)は南北朝時代(1382年)から安土桃山時代(1583年)の約200年間にわたって河内国若江郡(現在の大阪府東大阪市若江南町)に所在した日本の城(平城)。畠山氏の河内経営の拠点で、河内国の経営を担当した守護代遊佐氏が歴代城主となった。若江という名称の由来は河内国若江郡に由来... 続きをみる
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【若江鏡神社】(わかえかがみじんじゃ)は総面積二千坪の境内を有し、創立年代は不詳であるが、文徳実録等の古書に854年(斎衡元年)「授河内之国大雷火明之神従五位下」と記されていることから見て、相当な古社です。その昔、近郷一帯の農作物が殆ど枯死寸前に至ったとき、神前で大般若経(東大阪市重要文化財)を唱... 続きをみる
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大阪府柏原市今町の「柏原神社」の道を挟んで斜めに【三田家住宅】(さんだけじゅうたく)があります。 【三田家住宅】(さんだけじゅうたく)は奈良街道に面した町家で、裏は了意川(りょういがわ:平野川)に接し、柏原船(かしわらぶね)の積荷をそのまま荷揚げできる造りになってい ました。三田家は、元は大坂伏見... 続きをみる
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柏原市今町に鎮座する【柏原神社】(かしわらじんじゃ)です。 今町の旧奈良街道に面したところに有り、「村社柏原神社」の標石が立っています。参道左に境内社、神輿倉、右に神楽殿が配され、中央奥に社殿が建立され、その中に本殿が安置されています。神輿倉の中には古い神輿が置かれていますが、現在は担ぐこともなく... 続きをみる
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【御劔神社】(みつるぎじんじゃ)「通称:天王さん」 大阪府柏原市
【御劔神社】(みつるぎじんじゃ)「通称:天王さん」 大阪府柏原市 鳥居をくぐって直ぐ右に蛙から水を流している手水鉢があります。また、右に「力石」があります。中央の拝殿の右側に、「竹光稲荷大明神」があり、左側に「おさん大明神」が祀られています。 由緒については、 御祭神;素盞鳴命、天児屋根命、大国主... 続きをみる
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【天湯川田神社】(あまゆかわたじんじゃ)大阪府柏原市 河内国安宿郡の式内小社。鳥取氏の祖天湯川田奈命を祀る。 古代の鳥坂郷で東に隣接して鳥取郷がある。鳥取氏の居住地であった。角凝魂命の三世の孫が祭神の天湯河棚命で鳥取連はこの命の後裔とされる。旧社家の鳥取氏宅には三尊形式の神像があり、中央の一体は白... 続きをみる
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大阪府柏原市の「石神社」(いわじんじゃ)の隣には、【歴史の丘】展望台公園があります。 第46代孝謙天皇が平城京から難波宮へ行幸した際、古代寺院河内六寺の一つである智識寺の南に行宮が造られました。石(いわ)神社の境内に智識寺東塔の礎石が移されています。また、「石神社」(いわじんじゃ)のシンボルである... 続きをみる
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大阪府藤井寺市の「道明寺」境内に【修羅】(しゅら)があります。 昭和53(1978)年4月、当宮氏地内の三ツ塚古墳の周濠から大小2基の修羅が出土しました。【修羅】(しゅら)とは、古墳を造るときに必要な巨大な石を運ぶためのソリのことです。当地は道真公の先祖土師はじ氏の領地であり、この修羅を使った土木... 続きをみる
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【道明寺】(どうみょうじ)は、大阪府藤井寺市にある真言宗御室派の尼寺。 道明寺周辺は、菅原道真の祖先にあたる豪族、土師(はじ)氏の根拠地であった。道明寺は土師氏の氏寺土師寺として建立され、今の道明寺天満宮の前にあった。当時は七堂伽藍や五重塔のある大規模なものであった。 901年(延喜元年)、大宰府... 続きをみる
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【誉田御廟山古墳】 (こんだごびょうやまこふん)大阪府羽曳野市
【誉田御廟山古墳】 (こんだごびょうやまこふん)または誉田山古墳(こんだやまこふん)は、大阪府羽曳野市誉田にある古墳。形状は前方後円墳。古市古墳群を構成する古墳の1つ。 実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「惠我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)」として第15代応神天皇の陵に治定されて... 続きをみる
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【誉田八幡宮】(こんだはちまんぐう)は、大阪府羽曳野市にある神社である。旧社格は府社。主祭神は応神天皇で、「誉田御廟山古墳(応神天皇陵)」の直ぐ南に鎮座する。 欽明天皇20年(559年)に任那の復興を目指した欽明天皇によって、応神天皇陵前に神廟が設置されたことをもって創建としている。このことから最... 続きをみる
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【白鳥神社】(しらとりじんじゃ)は、大阪府羽曳野市にある神社。旧社格は村社。日本武尊、素戔嗚命、稲田姫命を祀る。明治時代に近隣の高屋神社を合祀し、その祭神である饒速日命、広国押武金日命(安閑天皇)を合せ祀る。元は軽里の西方の伊岐谷にある白鳥陵の頂に鎮座し、「伊岐宮(いきのみや)」と呼ばれていた。南... 続きをみる
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【一茶句碑】大阪府柏原市円明町 「小林一茶」は、寛政4年(1792)から同10年までの約6年間、西国、上方方面を旅行。 その途中、寛政7年(1795)、明石から大坂に入り、天王寺、平野を通って、4月3日に葛井寺と道明寺に詣でた後、当時すでに景勝地として有名だった玉手山を訪れています。 「寺は、道明... 続きをみる
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【玉手山古墳群】(たまてやまこふんぐん)は、大阪府柏原市にある古墳群。史跡指定はされていない。 大和川と石川との合流点の東南に、南北にのびる玉手山の洪積丘陵上に点在する古墳群である。 玉手山古墳群は3種類の古墳群によって構成されている。第1は古式古墳群(古墳時代前期の古墳群)である。13基の前方後... 続きをみる
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【大坂夏の陣古戦場跡】大阪府柏原市玉手町 1614年(慶長19年)に大坂冬の陣、1615年(慶長20年)に大坂夏の陣、と2度にわたって、大坂城をめぐって豊臣方と徳川方の戦が行われました。かつて小松山と呼ばれていた玉手山は、夏の陣の戦端が開かれた地。玉手山公園には、後藤又兵衛基次の碑や、豊臣・徳川両... 続きをみる
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【梅之家神社】(うめのいえじんじゃ) 大阪府柏原市 大阪府柏原市円明町の「伯太姫神社」(はくたひめじんじゃ)へ行く途中に【梅之家神社】(うめのやじんじゃ)と彫られている石標があります。横のやや急なコンクリート階段を上がると鳥居、手水鉢、本殿や拝殿もなく普通の家があるだけです。その家には紙垂(しで)... 続きをみる
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【伯太姫神社】(はくたひめじんじゃ)大阪府柏原市 鳥居の前をくぐって長い石段を上ります。案内板掲には次のように書かれてありました。「河内国安宿郡の延喜式内社であり、安宿郡尾張荘の地と推定されている。江戸時代は「白山権現」と呼ばれていたようで、伯太彦命と夫婦神であり、彦と同じく右京諸蕃田辺史の祖神を... 続きをみる
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【柏原黒田神社】(かしわらくろだじんじゃ)は、1969年(昭和44年)に藤井寺市にある「北条黒田神社」より分社された神社で、過去は別名を塩殿神社(ショウデンさん)と言い、海運、広くは、交通安全の神として塩土老翁をまつっていた。分社後は「黒田神社」のご祭神もおまつりしている。黒田神社の名の由来は、農... 続きをみる
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【大阪府立 花の文化園】大阪府河内長野市 近鉄長野線河内長野駅から国道170号線を進み、「文化園口」交差点を南へ500mほど行くと、のどかな風景の中、大阪府立花の文化園へ行き着く。甲子園の3倍もの広さを誇る園内は散策道が整備され、入園ゲート正面に広がる装飾花壇をはじめバラ園、ぼたん園、梅園、アジサ... 続きをみる
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【丹生高野明神社】(にゅうたかのみょうじん)大阪府河内長野市
【丹生高野明神社】(にゅうたかのみょうじん)大阪府河内長野市 河内の古刹である真言宗御室派大本山、天野山金剛寺の山門前、天野街道を挟んで向い側、金剛寺を見下ろす天野山の頂に鎮座する古社です。社殿は華麗な三間社流れ造りで、大阪府指定有形文化財に指定されています。麓に鎮座する丹生高野両大明神社はこの丹... 続きをみる
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【丹生高野両大明神】(にゅうたかのりょうだいみょうじん)大阪府河内長野市
【丹生高野両大明神】(にゅうたかのりょうだいみょうじん)大阪府河内長野市 河内の古刹である真言宗御室派大本山、「天野山金剛寺」の山門前、国道をはさんで向い側に鎮座する小社です。山の頂に鎮座する高野神社の裏参道にあたるとされ、古文献によれば金剛寺創建の天平年間(700年代)と同時期に建立されたと推測... 続きをみる
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【金剛寺】(こんごうじ)は大阪府河内長野市にある真言宗御室派の大本山。山号は天野山(あまのさん)。高野山が女人禁制だったのに対して女性も参詣ができたため、「女人高野」とも呼ばれる。奥河内の観光地の一つ。大阪みどりの百選に選定されている。 寺伝ではインドのアショーカ王(阿育王)が投げた8万4千の鉄塔... 続きをみる
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【金剛寺】(こんごうじ)は大阪府河内長野市にある真言宗御室派の大本山。山号は天野山(あまのさん)。高野山が女人禁制だったのに対して女性も参詣ができたため、「女人高野」とも呼ばれる。奥河内の観光地の一つ。大阪みどりの百選に選定されている。 寺伝ではインドのアショーカ王(阿育王)が投げた8万4千の鉄塔... 続きをみる
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【金剛寺】(こんごうじ)は大阪府河内長野市にある真言宗御室派の大本山。山号は天野山(あまのさん)。高野山が女人禁制だったのに対して女性も参詣ができたため、「女人高野」とも呼ばれる。奥河内の観光地の一つ。大阪みどりの百選に選定されている。 寺伝ではインドのアショーカ王(阿育王)が投げた8万4千の鉄塔... 続きをみる
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【支子稲荷神社】(さしいなりじんじゃ)大阪府富田林市 大阪府富田林市宮町にある「美具久留御魂神社」の境内社【支子稲荷神社】(さしいなりじんじゃ)です。「美具久留御魂神社」の本殿から山の方へ長い参道を進むと【支子稲荷大明神】があります。かなりのパワーを持ったお稲荷さんと思われます。由緒等は不明です。... 続きをみる
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【美具久留御魂神社】(みぐくるみたまじんじゃ)大阪府富田林市
【美具久留御魂神社】(みぐくるみたまじんじゃ)大阪府富田林市 【美具久留御魂神社】(みぐくるみたまじんじゃ)は、大阪府富田林市にある神社。式内社で、旧社格は郷社。 美具久留御魂大神(大国主命)を主祭神とし、左殿に天水分神(あめのみくまりのかみ)、弥都波迺売命(みずはのめのみこと)、右殿に国水分神(... 続きをみる
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【城山大神】(しろやまだいじん)/【不動明王】【神變大菩薩】(じんべだいぼさつ)大阪府八尾市
大阪府八尾市「天照大神高座神社」の境内隅に「城山大神」への案内板があります。柵の扉をあけて石段の参道を上っていくと左側に「城山大神」があります。 さらに参道を上がっていくと左側に「史跡の道 八尾市」の標石があります。その少し上に【不動明王】と【神變大菩薩】(じんべだいぼさつ)が祀られています。刻ま... 続きをみる
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【岩戸神社】(いわとじんじゃ)八尾市大字教興寺 【岩戸神社】は、「天照大神高座神社」のすぐ西の脇にあり、本殿も同様に岩盤上に鎮座しています。祭神は『市杵島姫命』。俗に『岩屋弁財天』『岩谷弁財天』と呼ばれています。 御神体は一帯の岩山全体ですが、以前は木彫の弁財天像が御神体でした。 高僧空海が高座神... 続きをみる
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【長柄神社】(ながらじんじゃ)奈良県御所市 祭神は下照姫命 (したてるひめのみこと)。文献では他の祭神説として、事代主命説や高照姫命説が挙げられている。事代主命説は『新撰姓氏録』大和国神別 長柄首条において長柄首(長柄氏)の祖を「天乃八重事代主神」と記すことによるもので、高照姫命説は「長柄比売神社... 続きをみる
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【八幡神社】(やはたじんじゃ)奈良県御所市室1322 宮山古墳の後円部の麓に鎮座するこの神社は、祭神が誉田別命(応神天皇)、本殿は方一間の春日造で、奉納された絵馬には農耕の場面を描いたものがあって、民俗資料として貴重なものです。第六代孝安天皇の「室秋津洲宮跡」はこの辺りであったと言われ、境内に石碑... 続きをみる
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【春日神社】(かすがじんじゃ)奈良県御所市 国道309号線の大阪方面から水越峠を越えると、右に「吐田神社」が見えます。御所市室の交差点を過ぎて、東の方向へ進み富田の信号を右折して大口峠を越え吉野方面に向かうと、右に大きな鳥居と森が見えます。陵墓のようにみえるこの森が地元では、戸毛字春日山と呼ばれま... 続きをみる
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【土田八幡神社】(つちだはちまんぐう)奈良県吉野郡大淀町 国道169号線、いわゆる伊勢街道沿いに鎮座しています。由緒等は不明です。 撮影時は改装中のようです。 (撮影:10月31日) 住所:奈良県吉野郡大淀町土田 アクセス: 近鉄吉野線越部駅 から徒歩6分(476m) 近鉄吉野線下市口駅 から徒歩... 続きをみる
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【新野八幡神社】(にいのはちまん)は、国道169号線、いわゆる伊勢街道沿いに鎮座しています。近鉄吉野線・六田駅から西に約200メートル、国道沿いを歩くと右手・北側に急坂の参道が真直ぐ上に延びています。一の鳥居から二の鳥居へ、そして参道社殿前広庭への参道となります。由緖等は不明。安產守護として知られ... 続きをみる
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【豊川大明神】(とよかわだいみょうじん)大阪府八尾市東本町 近鉄八尾駅から南へ400m、東本町1丁目4に「式内社 長柄神社跡」があります。そこは公園になっていて子供たちがよく遊んでいます。その公園の横に赤い鳥居と囲いがある【豊川大明神】(とよかわだいみょうじん)があります。 由緒等は不明です。祭神... 続きをみる
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もとは廃西方寺の地蔵で、この地の東方、小宇京良塚を通る立石街道沿いにあったという。材質は花崗岩で、総高二、一四メートル、身丈一、六五メートルの厚肉彫の端正な立像である。左右に南無阿弥陀佛文明三年辛卯十 一月□日 八尾西方寺福舎院 住金剛佛子高範と陰刻されていて、市内有数の石仏である。高地蔵、タカ地... 続きをみる
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【小さな駄菓子屋さんの博物館】全興寺内 / 大阪市平野区(2/2)
「全興寺」(せんこうじ)は大阪市平野区にある高野山真言宗の寺院。境内に【小さな駄菓子屋さんの博物館】があります。 これは「平野町ぐるみ博物館」の常設館の一つ。1993年に寺の蔵を改修してオープンした。川口住職が小さい頃駄菓子屋で集めた数百点のコレクションを展示している。展示物は駄菓子の外箱や包装紙... 続きをみる
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【小さな駄菓子屋さんの博物館】全興寺内 / 大阪市平野区(1/2)
「全興寺」(せんこうじ)は大阪市平野区にある高野山真言宗の寺院。境内に【小さな駄菓子屋さんの博物館】があります。 これは「平野町ぐるみ博物館」の常設館の一つ。1993年に寺の蔵を改修してオープンした。川口住職が小さい頃駄菓子屋で集めた数百点のコレクションを展示している。展示物は駄菓子の外箱や包装紙... 続きをみる
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【比売許曽神社】(ひめこそじんじゃ)大阪市東成区 主祭神 は、下照比売命。創建 垂仁天皇2年。旧社格は村社。式内名神大社「摂津国東生郡 比売許曽神社」の論社の一社である(もう一社は高津宮摂社・比売古曽神社)。下照比売命を主祭神とし、速素盞嗚命・味耜高彦根命・大小橋命・大鷦鷯命・橘豊日命を配祀する。... 続きをみる
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【大小橋命胞衣塚】(おおおばせのみことえなづか)大阪市東成区
千日前通りと市道上新城生野線(通称・疎開道路)の玉津3丁目交差点には、北西の角に【大小橋命胞衣塚】(おおおばせのみことえなづか)があります。 垂仁天皇2年に創建されたとされる比売許曽(ひめこそ)神社にまつられている大小橋(おおばせ)命の胞衣を納めた塚と伝えられています。後世この塚に植えられた柳が子... 続きをみる
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【愛染堂勝鬘院】(あいぞめどうしょうまんいん)「愛染さん」大阪市天王寺区
聖徳太子によって建立され、本尊として良縁成就・夫婦和合で有名な愛染明王が奉安されています。夏の例祭「愛染祭」は大阪の三大夏祭りのひとつです。 四天王寺の四箇院のひとつである「施薬院」として推古天皇元年(593)に、聖徳太子によって建立されました。施薬院とは、仏教の教えによって設けられたもので、薬草... 続きをみる
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【大江神社】(おおえじんじゃ)とは大阪府大阪市天王寺区にある神社。四天王寺の鎮守である四天王寺七宮のひとつ。祭神は豊受大神、素盞嗚尊、欽明天皇、大己貴命、少彦名命。祀る堂があり、虎は毘沙門天を護るとされている。狛虎は元々は阿吽で1対をなしていたが、吽形の方が明治初期に某寺に持ち出されてしまったと言... 続きをみる
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泰聖寺のパワースポット【正一位眼力稲荷大明神】(通称: ガンリキさん)大阪市天王寺区
泰聖寺のパワースポット【正一位眼力稲荷大明神】(通称:ガンリキさん )大阪市天王寺区 「泰聖寺」(たいしょうじ)は、大阪市天王寺区下寺町にある西山浄土宗(浄土宗西山派)の仏教寺院。山号は銀龍山。泰聖寺は、宝暦5(1755)年に八代将軍徳川吉宗公の弟・紹空哲山惠隆上人によって、眼病平癒のお寺として信... 続きをみる
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【安居神社】(やすいじんじゃ)大阪市天王寺区 「安居天満宮」ともいう。安居天神、安居神社とも。創建年は不詳であるが、当社は少彦名神が祭られており、天慶5年(942年)から菅原道真が祭られるようになったと伝えられている。菅原道真が大宰府に流されるときに、風待ちのために休息をとった為にその名がついたと... 続きをみる
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東大阪市にある「瓢箪山古墳」には、豊臣秀吉による創始伝承をもつ「瓢箪山稲荷神社」が祀られています。この地域は山畑古墳群と呼ばれる古墳の一大集積地。大坂城築城のとき、秀吉がこのあたりの古墳から、石垣用の石を運び出させたと伝えています。 円墳を横に2つ連ねた「双円墳」と呼ばれるタイプの古墳。全長は50... 続きをみる
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【山畑古墳群】(やまはたこふんぐん)大阪府東大阪市 大阪府東大阪市南東部(上四条町、瓢箪山町あたり)に分布する群集墳。東大阪市内では最大規模の古墳群。 6世紀後半から7世紀はじめにかけて築造され、大半は直径10~15m程度の円墳であるが、双円墳や上円下方墳も含まれる。かつては100基以上あったとさ... 続きをみる
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「きんてつ鉄道まつり 2018」in 高安 27/10/2018 五位堂検修車庫(奈良県香芝市)と高安車庫(大阪府八尾市)で,「きんてつ鉄道まつり2018 in 五位堂・高安」を開催。高安車庫最寄駅の高安駅に急行を臨時停車させるとともに,『団体専用列車「あおぞらⅡ(15200系)」乗車体験ツアー』... 続きをみる
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「第二次大極殿跡」は、平城宮跡の「象徴」とも言える壮大な復元建築の「第一次大極殿」の東側に位置するもうひとつの「大極殿」の大規模な遺跡。 現在、この遺跡は石の基壇のみが復元され、建物は一切ない状況となっていますが、周辺の遺跡や復元基壇も合わせると平城宮跡の中では最も目に見える「巨大な遺跡」のあるエ... 続きをみる
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【平城宮跡資料館】です。奈良文化財研究所の約50年にわたる平城宮の調査をもとに、いにしえの奈良の都へご案内する施設。平城京、平城宮跡、大極殿、朱雀門など、奈良の文化遺産を詳しく解説されています。 「平城宮址」(へいじょうきゅうし)とは。。。 平城京の北端中央にあった宮城の跡(特別史跡)で,奈良市佐... 続きをみる
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【竜王殿】(りゅうおうでん)「縛魯拏天八大龍王」(ばろだてんはちだいりゅうおう)大念仏寺内 / 大阪市平野区
【竜王殿】(りゅうおうでん)大念仏寺内 / 大阪市平野区 本尊の「縛魯拏天八大龍王」(ばろだてんはちだいりゅうおう)を祀ります。大念仏寺境内の北側にあります。融通念仏宗ではなく修験道の本山派に属しています。昭和二十九年(1954)に平野五流講金吉組が建立。のぼりには「バロダテン」と書かれています。... 続きをみる