kazu2000のブログ / 社寺仏閣巡り

神社が好きで関西を中心に廻っています。kazu1000のブログ記事が満杯になりましたので、このkazu2000より引き続き投稿致します。

【八幡神社】(やはたじんじゃ)と【清水山 吉田寺】(ぼっくり寺)

奈良県生駒郡斑鳩町小吉田に【八幡神社】(やはたじんじゃ)があります。


由緒等は不明です。



隣に【清水山 吉田寺】があります。


【清水山 吉田寺】(ぼっくり寺)の創建は古く、天智天皇の勅願によると伝えられ、本堂西側には妹君・間人内親王の御陵と伝えられる清水の古墳がある。その後、平安時代末期、永延元年(987年)に恵心僧都源信が開基された。


浄土教の先駆者として知られる恵心僧都源信はお念仏のみ教えを早くから世に広められ、その著書の「往生要集」では、お念仏による衆生救済の功徳を理論付けられた。浄土宗の法然上人や浄土真宗の親鸞上人にも多大な影響を与えられた。



住所:奈良県生駒郡斑鳩町小吉田1-1-23


アクセス:JR大和路線 大和路快速乗車「王寺駅」下車(所要時間約40分)




【白山神社】(はくさんじんじゃ)奈良県生駒郡斑鳩町

淨閑院の西北方に鎮座し、伊邪那美命をまつるが、由緒不詳にして旧村社である。本殿は春日造り一間社の板葺にして、玉垣をめぐらす。本殿の向って右方に境内社四社がある。


明治の明細帳によれば大神社・八幡神社・塩田神社・住吉神社・春日神社・十羅神社の六社となっている。


塩田神社は竜田川塩田橋の上流東岸の塩田森に鎮座していた。大峰山参りに行者はこの森の河原なる御幣岩でみそぎをしたという。


白山神社の例祭は十月十五日に執行される。神社の背後に龍田城跡が接してある。



◆主祭神
・伊弉那美命 (いざなみのみこと)


◆末社祭神
・天照大神 (あまてらすおおみかみ) 皇大神社
・八幡大神 (はちまんおおかみ) 八幡神社
・祓戸神 (はらえどのおおかみ) 塩田神社
・住吉神 (すみよしのかみ) 住吉神社
・十羅神 (じゅうらのかみ) 十羅神社



住所:奈良県生駒郡斑鳩町稲葉車瀬1丁目6−10


アクセス:近鉄田原本線「大輪田駅」 から徒歩18分(1.5km)




【白山神社】(はくさんじんじゃ)奈良県生駒郡斑鳩町  *Blog貼付け用





10月6日(火)【奈良サイクリング】


◆ルート:八尾市~斑鳩~大和郡山市~奈良市佐紀~生駒~斑鳩~八尾市


◆往復8時間(休憩含む)


◆訪れた社寺仏閣


・白山神社
・八幡神社+吉田寺(ぼっくり寺)
・小泉神社
・楠地蔵尊+一本松大明神
・金輪院(小泉庚申堂)
・佐紀神社「亀畑」
・佐紀神社「西畑」
・小さな神社(2社)
・釣殿神社
・佐紀瓢箪山古墳
・鏡玉神社
・登彌神社
・正体不明の社






#奈良サイクリング #八尾市 #斑鳩 #大和郡山市 #奈良市 #佐紀 #SK_laboratory #阪本研究所

【斑鳩神社】(いかるがじんじゃ)奈良県生駒郡斑鳩町

【斑鳩神社】(いかるがじんじゃ)は奈良県生駒郡の神社。法隆寺の北東の天満山に位置し、菅原道真を祀る。法隆寺鎮守4社の1つで寺の鬼門の守護神とされ、現在も関係が深い。




天慶年間に法隆寺の管主で菅原氏の湛照が創祀し、元亨4年(1324年)に僧・慶祐が社殿を造営したとの記録がある。当初は天満山の西麓に位置し境内に如法経堂という堂があったが、寛文年間に火災で全焼した。


寛文8年(1668年)に神殿が再建された後、水害のため享保10年(1725年)に現在と同じ山上に移ったと伝えられる。1869年(明治2年)には、法隆寺境内にあった総社明神、五所明神、白山権現が遷祀された。



所在地:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1丁目11番



斑鳩町について


斑鳩町には、聖徳太子が造営した宮殿「斑鳩宮(いかるがのみや)」がありました。太子は605年にはそこに移り住んだといわれています。


そして、斑鳩宮の西方には聖徳太子が建立した法隆寺、また尼寺として建てられた中宮寺、聖徳太子が法華経を講じた岡本宮の跡地に建立された法起寺など、太子ゆかりの寺院があります。


また、太子の愛馬である黒駒を葬ったとされる駒塚古墳、黒駒の世話をしていた調子麿の墓とされる調子丸古墳などもあります。このように斑鳩町は、聖徳太子とのゆかりが深い町であるといえます。



斑鳩宮(いかるがのみや)


大和川の支流・富雄川の西岸の平地に築かれた宮殿で、推古天皇9年(601)から聖徳太子によって現在の法隆寺東院伽藍の辺りに造営されました。


造営中の推古天皇12年(604)4月3日、聖徳太子は臣下を斑鳩宮に集め、日本初の成文法となる十七条憲法の草案を発表しています。




また、推古天皇15年(607)には斑鳩宮の西方に法隆寺を建立しています。聖徳太子の薨去後は、太子の王子の山背大兄王一族が住んでいましたが、皇極天皇2年(643)に宮は焼き払われ、山背大兄王一族も法隆寺で自決に追い込まれました。



斑鳩宮があった法隆寺東院伽藍に建つ夢殿(国宝)👇
夢殿は奈良時代に聖徳太子を偲んで建てられたもの。


夢殿(国宝)





◆近郊の神社👇




◆近郊の「法隆寺」👇


◆近郊の「法起寺」👇



◆近郊の「中宮寺跡」👇

【素盞鳴神社(三井神社)】奈良県生駒郡斑鳩町

【素盞鳴神社(三井神社)】奈良県生駒郡斑鳩町




御祭神 :主祭神 素盞鳴命 (すさのうのみこと)


末社祭神 :天児屋根命 (あめのこやねのみこと) 



三井の産土神にして法輪寺の東北方に当たり斑鳩池へ上る道の東側丘上に鎮座し、須佐之男命をまつるが、由緒は不詳にして旧村社。


社殿は春日造り一間社、桧皮葺に銅板をかぶせ朱塗りである。この社殿ははじめ南向きであったが江戸時代中期に西に向けた。本社の向って左方に「春日神社」があり、本社と同じく春日造り一間社の檜皮葺に銅板をかぶせてある。


拝殿は平屋瓦葺きである。石造り狛犬一対は天保十年(1839)十一月奉献されたものであり、石灯一対は文久元年(1861)十二月に諸願成就のために奉納したものである。


拝殿の下方の石造り手水鉢は安政六年(1859)九月吉日に氏子中から奉献したものである。当社には、東座・西座の宮座があった。




所在地:奈良県生駒郡斑鳩町三井2-141


アクセス:JR大和路線「法隆寺」駅よりバスで法起寺前下車、徒歩5分




素戔嗚神社




◆近郊に「法輪寺」があります👇




◆近郊の社寺仏閣👇



【手向山八幡宮】(たむけやまはちまんぐう)【東大寺 法華堂 経庫】三月堂や手向山八幡宮に囲まれた位置にある「校倉造」

奈良市街東部の手向山麓に位置します。手向山は紅葉の名所として知られ、古今和歌集では菅原道真が「このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」と詠んでいます。


東大寺大仏殿前の道を東に行った正面に位置し、すぐ北には東大寺法華堂(三月堂)があります。


天平勝宝元年(749年)、東大寺及び大仏を建立するにあたって宇佐八幡宮より東大寺の守護神として勧請されました。


八幡宮からの分社では第一号。当初は平城宮南の梨原宮に鎮座し、後に東大寺大仏殿南方の鏡池付近に移座しましたが、治承4年(1180年)の平重衡による戦火で焼失、建長2年(1250年)に北条時頼が現在地に再建。当初の鎮座地とされる梨原宮の所在地は未詳ですが、奈良市役所近くにある平城京左京三条二坊庭園跡庭園がその跡ともいわれています。


創建以来、東大寺に属しその鎮守社とされてきましたが、明治の神仏分離の際に東大寺から独立しています。




住所:奈良県奈良市雑司町434



アクセス:
JR奈良駅から奈良交通の市内循環バスに乗車、「大仏殿春日大社前」下車。徒歩15分。
近鉄奈良駅から徒歩30分。




手向山神社

東大寺法華堂(とうだいじほっけどう)は、奈良県奈良市の東大寺にある奈良時代(8世紀)建立の仏堂である。一般に三月堂(さんがつどう)として知られる。日本の国宝に指定されている。東大寺に現存する数少ない奈良時代建築の1つであり、堂内に安置する10体の仏像も奈良時代の作。





東大寺法華堂経庫


二月堂や三月堂(法華堂)、四月堂などが位置する東大寺の古き良き風情を体感して頂ける「上院」エリアの一角、かつての東大寺鎮守神である「手向山八幡宮」にも隣接する位置にある建物(重要文化財)です。


建物は正倉院などを同じく、いわゆる「校倉造」の建築様式となっており、その建立は奈良時代もしくは平安初期にまで遡ると言われています。東大寺の境内地において、奈良時代周辺に建てられた建築が残っているケースは、正倉院、転害門及び三月堂(後に大規模な改築を受けている)など一部に留まっており、この経庫も知名度は高くないものの、貴重な建築と言える存在になっています。






なお経庫は、かつては「校倉造」の代表建築である正倉院の近くに設置されていましたが、鎌倉時代には大規模な修理が施されたりした後、江戸時代の元禄期になると現在の位置に「手向山八幡宮」の宝蔵として移築されたという経歴を有しています。その後はしばらく手向山八幡宮に帰属していましたが、明治の廃仏毀釈の折に、再び東大寺に帰属する建物となったとされています。ちなみに、この経庫の40メートルほど南側の位置には、手向山八幡宮の「宝庫」が別途設けられており、こちらも同じような建築様式で、やはり奈良時代頃に創建されたものと考えられています。


なお、この経庫をめぐっては江戸時代に二月堂の絶対秘仏である「十一面観音」が火災の際に破損して「光背」の一部が行方不明となった後、明治になりこの経庫で発見されたというエピソードも知られています。現在は庫内には東大寺の住職となる際の試験に用いられる巨大な「論議台」と呼ばれる設備が収蔵されています。



東大寺 法華堂 経庫



東大寺 法華堂 経庫


奈良交通バス


・JR、近鉄奈良駅から「市内循環外回り」「山村町」「藤原台」「鹿野園町」「奈良佐保短期大学」行き乗車、「東大寺大仏殿・春日大社前」下車、北東に徒歩14分、または「春日大社本殿」行き乗車、「東大寺大仏殿」下車、北東に徒歩13分




◆すぐ近くに「春日山」があります👇