kazu2000のブログ / 社寺仏閣巡り

神社が好きで関西を中心に廻っています。kazu1000のブログ記事が満杯になりましたので、このkazu2000より引き続き投稿致します。

【全興寺】(せんこうじ)大阪市平野区(2/2)

【全興寺】(せんこうじ)は大阪市平野区にある高野山真言宗の寺院。山号は野中山。平野薬師としても知られる。「平野の町づくりを考える会」の事務局があり、平野町ぐるみ博物館を含め様々な町おこし活動を行っている。境内には地獄の様子を写した「地獄堂」や仏の世界を表現した「ほとけのくに」、町ぐるみ博物館の一つである「小さな駄菓子屋さん博物館」や子供の遊び場として利用される「おも路地」など、多種多様な施設があり、「大阪のおもろい寺」、「寺のディズニーランド」とも称されている。


飛鳥時代、聖徳太子が当時野原だったこの地域に仏堂を建て、薬師如来像を安置したのが起源とされる。寺の名前の由来は不明であるが、この一帯が杭全荘と呼ばれた事から、「杭全を興す寺」から全興寺になったという説がある。薬師堂の建立後、周りに人が住み始め、町を形成していった。これが後の平野郷となる(「平野」という名前は平安初期、この地の領主だった坂上田村麻呂の子の坂上広野(坂上広野麿)の「ひろの」が転化して「ひらの」になったと言われている)。


中世には藤原氏の荘園となり、応仁の乱以降は戦乱に巻き込まれないようにと豪商らが環濠を築き上げ、堺と並ぶ環濠都市として栄えた。大坂冬の陣では徳川秀忠の軍勢が河内路より平野に入り、全興寺の隣にある野堂町会所を本陣にしたと伝えられている。大坂夏の陣により町は戦火に飲まれたが、すぐに再建]。大阪大空襲の被害も逃れ、今日もこの一帯は江戸時代からの古い町並みが残っている。全興寺の本堂は天正4年(1576年)に建造され、大坂夏の陣で一部を焼失。1661年に再建されたもので、大阪府内でも有数の古い木造建築となっている。




住所: 大阪府大阪市平野区平野本町4丁目12番21号


アクセス:
関西本線(大和路線) 平野駅 南口より徒歩約12分
大阪市営地下鉄谷町線 平野駅 4番出口より徒歩約12分
大阪市営バス 平野東2丁目バス停より徒歩約3分



全興寺(せんこうじ) 地獄堂① /Hell hall of Senkouji (temple)