kazu2000のブログ / 社寺仏閣巡り

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【賣太神社】(めたじんじゃ、売太神社)奈良県大和郡山市稗田町

【賣太神社】(めたじんじゃ、売太神社)奈良県大和郡山市稗田町




【賣太神社】(めたじんじゃ、売太神社)は奈良県大和郡山市の稗田環濠集落の端にある神社である。式内社で、旧社格は県社。



古事記編纂に携わった稗田阿礼を主斎神(主祭神)、天鈿女命、猿田彦命を副斎神(配祀神)として祀る。







稗田阿礼命は学問の神、物語の神。天鈿女命は芸能の始祖神。猿田彦命は土地・方位の神であり、天鈿女命の夫神である。稗田阿礼は猿女君稗田氏の出で、天鈿女命は猿女君の祖神・氏神である。





中世には「祭神不詳」とされていた。


稗田は天鈿女命を祖とする猿女君稗田氏の本拠地であり、祖先の廟祠として推古朝時代までには創建されたものとみられる。奈良時代には、稗田集落西辺に、平城京に通じる水陸両用の主要幹線道路である「下つ道」もあり、そこから多数の祭祀道具が発掘されたため、かつてこの神社は平城京の羅城門付近に存在しており、都に出入りする人々の穢れを払い、また、交通の安全を祈願する神事の場所でもあったことから、道祖神としての役割もあったとされる。


延喜式神名帳に「大和国添上郡 賣太神社」と記載され、小社に列している。


社名の由来として、猿女君が天皇より多くの養田を賜り、その田を猿女田と呼び、その持ち主を猿女田主と呼んでいたため、後に「猿」の字を略して女田主と呼ぶようになり、その祖神を祀るこの神社を「賣太神社」と称する事になった説が有力である。


江戸時代までは「三社明神」と呼ばれており、1874年(明治7年)に「十三社明神」となり、1891年(明治24年)に「賣田神社」、1942年(昭和17年)に現在の「賣太神社」に改称した。




所在地 :奈良県大和郡山市稗田町319







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