kazu2000のブログ / 社寺仏閣巡り

神社が好きで関西を中心に廻っています。kazu1000のブログ記事が満杯になりましたので、このkazu2000より引き続き投稿致します。

GO TO トラベル 【奈良編】 その6 真言律宗総本山 西大寺~野神神社~西大寺奥の院~興福寺五重塔~東大寺二月堂~五劫院~奈良町~厄除け観世音慈眼寺 / 奈良ホテル

GO TO トラベル 【奈良編】 真言律宗総本山 西大寺~野神神社~西大寺奥の院~興福寺五重塔~東大寺二月堂~五劫院~奈良町~厄除け観世音慈眼寺 / 奈良ホテル






「その5」からのつづきです👇



【五劫院】(ごこういん)は、奈良県奈良市北御門町にある華厳宗の寺院。東大寺末。山号は思惟山。 重源(ちょうげん)上人が宋から請来したと伝えられる五劫思惟阿弥陀仏坐像(重文)がご本尊です。「劫」とは時間を表す言葉で、大きな岩に、3年に一度天女が舞い降りて袖で岩を払い、その岩が磨り減るまでの時を指します。それが5回繰り返される五劫という、気の遠くなるような長い時間考え続けた姿は、現代風に形容するとアフロヘアーのよう。毎年8月上旬に特別開帳されます。



所在地:奈良県奈良市北御門町24





本堂の裏には広い墓地があり、その入り口辺りの小さなお堂の中に二体の大きな地蔵石仏が祀られています。


安山岩で総高2m、像高約1.5m、永正十三年(1516) の刻銘が有り、室町時代中期の造立。


向かって左、ちょっと黒っぽい石仏が「見返り地蔵」と呼ばれる地蔵石仏で、誰一人として見逃すことなく極楽へ送り届けるようにと振り返っていると言われています。


顔面をやや左に曲げ、体を斜めにして歩行する姿を表し、右手錫杖、左手宝珠を持つ地蔵を厚肉彫りで刻み出しています。







【子安神社】「良弁」僧正の母親を祀ったとも言われる東大寺境内の神社



子安神社(こやすじんじゃ)は東大寺の境内、大仏殿の西側すぐの位置にある神社です。


神社は東大寺の古図にもその存在が記されているなど歴史が深い存在となっていますが、かつては「富貴社(フキのやしろ)」とも呼ばれていたほか、東大寺初代別当である良弁僧正の母親の住居跡としてその母親をお祀りする「孝養社」と呼ばれていたともされています。


現在の「子安神社(子安宮・子安明神)」と呼ばれるようになったのは17世紀頃からのようで、現在はその名の通り安産祈願・子孫繁栄などを祈る空間となっています。


なお、現在のご祭神は国産みの神である伊弉冊命(イザナミ)となっています。




アクセス:
JR奈良駅西口・近鉄奈良駅から奈良交通バス「青山住宅」・「州見台八丁目」行き乗車、「今小路」バス停下車、東に徒歩6分




【猿田彦神社】(さるたひこじんじゃ)は、奈良県奈良市今御門町にある神社。道祖神社とも呼ばれる。 平城天皇の御代に元興寺境内に創祀されたと伝わる。


宝徳2年(1450年)元興寺の大火後、再々の火難に類焼し、現在の小祠となった。


 一説には、橘奈良麻呂の乱で無実の罪で獄死した道祖王の怨霊を恐れ、祀られたのが始めともいう。


往古より道祖神、賽神・妻神、開運の神として近在の信仰を集め、商売繁盛、開運招福、良縁・安産の神として名高い。


古歌に、本社に願をかけた『村のよめ 道祖神に 願をかけ』(明和年間)というものがある。本殿の右に神楽所がある。鳥居、玉垣の中に大きい陽石があり、荒神、賽の神として勝負の守護神となっている。


所在地:奈良県奈良市今御門町1





奈良の厄除け寺 慈眼寺 聖武天皇御感得

厄除け発祥の寺
史書『南都年中行事』によりますと、当寺の創建は聖武天皇の勅願により観音堂に守り仏を安置したことが始まりとされます。境内二丁四方、寺領百石余りある南都諸大寺の一つでしたが、松永久秀の乱逆により荒廃し、その後復興されました。本尊の聖観世音菩薩に古来多くの方々が厄除け・厄払い・厄落しに訪れます。










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