kazu2000のブログ / 社寺仏閣巡り

神社が好きで関西を中心に廻っています。kazu1000のブログ記事が満杯になりましたので、このkazu2000より引き続き投稿致します。

【采女神社】は「うねめじんじゃ」奈良市樽井町

猿沢池の北西畔にある春日大社境外末社。スタバの隣りです。
鳥居のような入口の戸があり、柵で囲まれた中に小さい社殿があります。


【采女神社】は「うねめじんじゃ」と読みます。「采女」は主として天皇の食事に奉仕した下級の女官のことを言いますが、この神社は奈良時代に天皇からの寵愛がなくなったことを悲しむあまり「猿沢池」に身を投げたとされる采女の霊を鎮めるために創建された神社だそうです。



「西向き」の本殿で猿沢池に背を向けています。
猿沢池に身を投げた采女を祀る神社だから、あえてその池を見えないように配慮されたようです。
入口の戸はいつも閉ざされています。



場所: 奈良県奈良市樽井町


アクセス:JR奈良駅、近鉄奈良駅 近鉄奈良駅から徒歩5分




采女(うねめ)とは、日本の朝廷において、天皇や皇后に近侍し、食事など身の回りの庶事を専門に行う女官のこと。平安時代初頭までの官職。


大同2年(807年)に采女貢進の制度は一時廃止となり、嵯峨天皇の御代に采女献上が復活。その後は特別な行事のみでの役職となっていった。采女の長官は采女正(ウネメノカミ)。



『日本書紀』によると、既に飛鳥時代には地方の豪族がその娘を天皇家に献上する習慣があった。一種の人質であり、豪族が服属したことを示したものと考える説が有力である。しかし、延喜17年(917年)の太政官符に、出雲国造が「神宮采女」と称して妾を蓄えることを禁止しつつも神道祭祀に必要な場合には1名に限り認める内容のものがあることを根拠に、地方の祭祀を天皇家が吸収統合していく過程で成立した制度で、祭祀においては妾と同一視され後述のとおり子供が出来る行為を伴ったと推測した説[1]など、神職である巫女との関連性を采女の起源に求める説も存在する。




主に天皇の食事の際の配膳が主な業務とされているが、天皇の側に仕える事や諸国から容姿に優れた者が献上されていたため、妻妾としての役割を果たす事も多く、その子供を産む者もいたが、当時は母親の身分も重視する時代であったため、地方豪族である郡司層出身の采女出生の子供は中央豪族や皇族出生の子供に比べて低い立場に置かれることがほとんどであった。




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