kazu2000のブログ / 社寺仏閣巡り

神社が好きで関西を中心に廻っています。kazu1000のブログ記事が満杯になりましたので、このkazu2000より引き続き投稿致します。

【長曽我部盛親物見の松】と 【慶春五輪塔】(けいしゅんごりんとう)/ 大阪府八尾市

【長曽我部盛親物見の松】



大阪府八尾市の久宝寺地区に、「長曽我部物見松遺址」と刻まれた石碑があります。
若江の戦いが行われた同じ日、豊臣方の長宗我部盛親隊と徳川方の藤堂高虎軍がこの地で激突しますが(八尾の戦い)、その戦いにおいて、長宗我部軍が藤堂隊の動静を探るために上ったと伝わる松の巨木が、かつてここにあったと伝えられます。現在は石碑と樹齢若い松の木が植樹されています。長宗我部盛親は木村重成隊と共に中河内地区に出陣し、重成が若井へ、そして盛親は八尾に陣を布きました。
そこで、同じくこの地に進軍していた徳川方の藤堂高虎軍の左翼、藤堂高刑、桑名吉成隊と出くわし、そのまま激突します。このときの長宗我部隊の攻撃はすさまじく、藤堂高刑、桑名吉成は討死し、藤堂隊は壊滅寸前にまで追い込まれますが、そこに、若江方面での木村重成隊の敗報が届き、孤軍となることを恐れた長宗我部隊は、大坂城に撤退しました。





【慶春五輪塔】(けいしゅんごりんとう)



昭和27年6月、大阪-八尾線道路改修の際、字樋上から出土したもの。この地は久宝寺寺内町の今口門のあったところです。材質は花崗岩で、五輪塔の高さ65cm、地輪正面には明応2年癸丑 慶春禅門 4月22日と刻まれており、その年号から推して正覚寺合戦の際の戦死者の墓ではないかといわれています。大阪(坂)夏の陣の際、激戦のあったところで、東軍は東口とこの今口両道から久宝寺へ攻め入りました。




所在地:大阪府 八尾市久宝寺2丁目(久宝寺小学校の横)
アクセス:近鉄「久宝寺口」駅から徒歩約10分/大阪市営バス「久宝寺」・「八尾高校前」から徒歩約10分。
横に【今口地蔵尊】(いまぐちじぞうそん)があります。