【玉造稲荷神社】(たまつくりいなりじんじゃ)大阪市中央区(1/2)
【玉造稲荷神社】(たまつくりいなりじんじゃ)大阪市中央区 旧社格は府社。 宇迦之御魂大神(稲荷神)を主祭神とし、下照姫命、稚日女命、月読命、軻偶突智命を配祀する。 社伝によれば垂仁天皇18年(紀元前12年)に創建され、当時は比売社と称していた。蘇我氏と物部氏の戦いの際、 蘇我氏方の聖徳太子がこの地... 続きをみる
【玉造稲荷神社】(たまつくりいなりじんじゃ)大阪市中央区(1/2)
【玉造稲荷神社】(たまつくりいなりじんじゃ)大阪市中央区 旧社格は府社。 宇迦之御魂大神(稲荷神)を主祭神とし、下照姫命、稚日女命、月読命、軻偶突智命を配祀する。 社伝によれば垂仁天皇18年(紀元前12年)に創建され、当時は比売社と称していた。蘇我氏と物部氏の戦いの際、 蘇我氏方の聖徳太子がこの地... 続きをみる
【鵲森宮】(かささぎもりのみや)大阪市中央区 式内社で、旧社格は府社。通称を「森之宮神社」(もりのみやじんじゃ)といい、周辺の地名である森之宮の由来となっている。 聖徳太子の両親である用明天皇・穴穂部間人皇后、および聖徳太子を主祭神として本社に祀り、奧社に天照大神・月読命・素盞嗚命を祀る。聖徳太子... 続きをみる
【生國魂神社】(いくくにたまじんじゃ)大阪市天王寺区(2/2)
【生國魂神社】(いくくにたまじんじゃ)大阪市天王寺区 式内社(名神大社)。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。大阪市中心部、難波宮跡や大坂城(大阪城)から南西方の生玉町に鎮座する。かつては現在の大坂城の地に鎮座し、中世にはその社地に近接して石山本願寺も建立され繁栄したが、石山合戦後の豊臣... 続きをみる
【生國魂神社】(いくくにたまじんじゃ)大阪市天王寺区(1/2)
【生國魂神社】(いくくにたまじんじゃ)大阪市天王寺区 式内社(名神大社)。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。大阪市中心部、難波宮跡や大坂城(大阪城)から南西方の生玉町に鎮座する。かつては現在の大坂城の地に鎮座し、中世にはその社地に近接して石山本願寺も建立され繁栄したが、石山合戦後の豊臣... 続きをみる
【允恭天皇陵】(いんぎょうてんのうりょう)大阪府藤井寺市 洪積段丘の国府台地のうえに前方部を北に向けて造られた墳丘長230m、前方部幅160m、後円部径140mを測る前方後円墳です。墳丘は三段に築かれ、周りには、二重の濠が巡っています。 宮内庁によって允恭陵(恵我長野北陵)に指定されていますが、出... 続きをみる
【道明寺盾塚古墳公園】大阪府藤井寺市 五世紀初頭の築造。帆立貝式前方後円墳。 全長約110メートル、墳丘長さ約73メートル、後円部径約46メートル、高さ約7.5メートル。前方部幅約20センチ、高さ約1.8メートル。。 造り出しと周濠も確認されている。出土品は鉄製武器・武具・農道具・鏡・玉類など。 ... 続きをみる
大阪府八尾市刑部に【御劔神社】(みつるぎじんじゃ)が鎮座しています。祭神は、素盞嗚命。境内の説明石碑には次のように書かれてあります。 「御劔神社のしるべ」 此の地、古くは河内國若江郡刑部郷と言い訓を聞けば刑部は、備中國賀夜郡、伊勢國三重郡等の刑部郷の例により於佐加倍と読むべしと伝えられその遺構であ... 続きをみる
【宿奈川田神社】(すくなかわたじんじゃ)「通称 :白坂神社」大阪府柏原市
【宿奈川田神社】(すくなかわたじんじゃ)大阪府柏原市 式内社で、旧社格は村社。地元では通称 「白坂神社」と呼ばれ、地図や看板でもそのように表記されている。 宿奈彦根命・高皇産霊命・級戸辺命を主祭神とする。『神社覈録』や『特選神名牒』では「祭神不詳」となっている。 創建の由緒は不詳である。近くにある... 続きをみる
【長瀬神社】(ながせじんじゃ)大阪府東大阪市 由緒 :明治の神社合祀令に基づき、大正元年に長瀬村各大字の神社を合祀し、長瀬神社を創建した。 北蛇草の蛇斬神社「素盞嗚尊、菅原道真」 天神社「少彦名伝」 波牟古曽神社「伊弉諾尊、伊弉册尊」 柏田の白山神社「菊理姫大神、品陀和気神」 衣摺神社「素盞嗚尊... 続きをみる
【彌刀神社】(みとじんじゃ:弥刀神社)大阪府東大阪市 祭神は速秋津日子神・速秋津比売神という水戸(港)や河口の神であり、鎮座地の近江堂という地名は大水戸が転訛したものであるといわれています。創建は不明ですが、762年(天平宝字6年)には大和川(現在の長瀬川)の洪水で長瀬堤が決壊したことにより社殿が... 続きをみる
「高井田横穴公園」(たかいだよこあなこうえん)は、JR高井田駅の北側にある国の史跡・高井田横穴群を保存・公開する公園です。この公園敷地内に【柏原市立歴史資料館】があります。 「高井田横穴」は、凝灰岩の岩盤に洞窟を掘って築造された古代の墓で、6世紀中頃から7世紀前半にかけて造られ、総数は200基以上... 続きをみる
「若江城」(わかえじょう)は南北朝時代(1382年)から安土桃山時代(1583年)の約200年間にわたって河内国若江郡(現在の大阪府東大阪市若江南町)に所在した日本の城(平城)。畠山氏の河内経営の拠点で、河内国の経営を担当した守護代遊佐氏が歴代城主となった。若江という名称の由来は河内国若江郡に由来... 続きをみる
【若江鏡神社】(わかえかがみじんじゃ)は総面積二千坪の境内を有し、創立年代は不詳であるが、文徳実録等の古書に854年(斎衡元年)「授河内之国大雷火明之神従五位下」と記されていることから見て、相当な古社です。その昔、近郷一帯の農作物が殆ど枯死寸前に至ったとき、神前で大般若経(東大阪市重要文化財)を唱... 続きをみる
【都留美嶌神社】(つるみじまじんじゃ)は,近鉄(大阪線)恩智駅の南800メートルに鎮座する。 社地の背後に玉串川(旧大和川)が流れています。 創立の経緯や祭神も不明であるが,『延喜式』(神名帳)の「都留美嶋神社」(河内國若江郡二十二座の一)に比定される古社です。 いくつかの資料によると,当社はかつ... 続きをみる
【柏村稲荷神社】(かしむらいなりじんじゃ)大阪府八尾市 柏村稲荷神社由来:古来この辺りは旧大和川が流れていましたが、度重なる洪水により附近の人々は大へんな災害を蒙るため、当時川筋にあたる今米の庄屋中甚兵衛親子二代が50年間幕府に訴えつづけ、遂に許可を得て現在の大和川に付替えられたのが、宝永元年(1... 続きをみる
大阪府柏原市今町の「柏原神社」の道を挟んで斜めに【三田家住宅】(さんだけじゅうたく)があります。 【三田家住宅】(さんだけじゅうたく)は奈良街道に面した町家で、裏は了意川(りょういがわ:平野川)に接し、柏原船(かしわらぶね)の積荷をそのまま荷揚げできる造りになってい ました。三田家は、元は大坂伏見... 続きをみる
柏原市今町に鎮座する【柏原神社】(かしわらじんじゃ)です。 今町の旧奈良街道に面したところに有り、「村社柏原神社」の標石が立っています。参道左に境内社、神輿倉、右に神楽殿が配され、中央奥に社殿が建立され、その中に本殿が安置されています。神輿倉の中には古い神輿が置かれていますが、現在は担ぐこともなく... 続きをみる
【御劔神社】(みつるぎじんじゃ)「通称:天王さん」 大阪府柏原市
【御劔神社】(みつるぎじんじゃ)「通称:天王さん」 大阪府柏原市 鳥居をくぐって直ぐ右に蛙から水を流している手水鉢があります。また、右に「力石」があります。中央の拝殿の右側に、「竹光稲荷大明神」があり、左側に「おさん大明神」が祀られています。 由緒については、 御祭神;素盞鳴命、天児屋根命、大国主... 続きをみる
【天湯川田神社】(あまゆかわたじんじゃ)大阪府柏原市 河内国安宿郡の式内小社。鳥取氏の祖天湯川田奈命を祀る。 古代の鳥坂郷で東に隣接して鳥取郷がある。鳥取氏の居住地であった。角凝魂命の三世の孫が祭神の天湯河棚命で鳥取連はこの命の後裔とされる。旧社家の鳥取氏宅には三尊形式の神像があり、中央の一体は白... 続きをみる
大阪府柏原市の「石神社」(いわじんじゃ)の隣には、【歴史の丘】展望台公園があります。 第46代孝謙天皇が平城京から難波宮へ行幸した際、古代寺院河内六寺の一つである智識寺の南に行宮が造られました。石(いわ)神社の境内に智識寺東塔の礎石が移されています。また、「石神社」(いわじんじゃ)のシンボルである... 続きをみる
大阪府藤井寺市の「道明寺」境内に【修羅】(しゅら)があります。 昭和53(1978)年4月、当宮氏地内の三ツ塚古墳の周濠から大小2基の修羅が出土しました。【修羅】(しゅら)とは、古墳を造るときに必要な巨大な石を運ぶためのソリのことです。当地は道真公の先祖土師はじ氏の領地であり、この修羅を使った土木... 続きをみる
【道明寺】(どうみょうじ)は、大阪府藤井寺市にある真言宗御室派の尼寺。 道明寺周辺は、菅原道真の祖先にあたる豪族、土師(はじ)氏の根拠地であった。道明寺は土師氏の氏寺土師寺として建立され、今の道明寺天満宮の前にあった。当時は七堂伽藍や五重塔のある大規模なものであった。 901年(延喜元年)、大宰府... 続きをみる
【誉田御廟山古墳】 (こんだごびょうやまこふん)大阪府羽曳野市
【誉田御廟山古墳】 (こんだごびょうやまこふん)または誉田山古墳(こんだやまこふん)は、大阪府羽曳野市誉田にある古墳。形状は前方後円墳。古市古墳群を構成する古墳の1つ。 実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「惠我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)」として第15代応神天皇の陵に治定されて... 続きをみる
【誉田八幡宮】(こんだはちまんぐう)は、大阪府羽曳野市にある神社である。旧社格は府社。主祭神は応神天皇で、「誉田御廟山古墳(応神天皇陵)」の直ぐ南に鎮座する。 欽明天皇20年(559年)に任那の復興を目指した欽明天皇によって、応神天皇陵前に神廟が設置されたことをもって創建としている。このことから最... 続きをみる
【白鳥神社】(しらとりじんじゃ)は、大阪府羽曳野市にある神社。旧社格は村社。日本武尊、素戔嗚命、稲田姫命を祀る。明治時代に近隣の高屋神社を合祀し、その祭神である饒速日命、広国押武金日命(安閑天皇)を合せ祀る。元は軽里の西方の伊岐谷にある白鳥陵の頂に鎮座し、「伊岐宮(いきのみや)」と呼ばれていた。南... 続きをみる
【一茶句碑】大阪府柏原市円明町 「小林一茶」は、寛政4年(1792)から同10年までの約6年間、西国、上方方面を旅行。 その途中、寛政7年(1795)、明石から大坂に入り、天王寺、平野を通って、4月3日に葛井寺と道明寺に詣でた後、当時すでに景勝地として有名だった玉手山を訪れています。 「寺は、道明... 続きをみる
【玉手山古墳群】(たまてやまこふんぐん)は、大阪府柏原市にある古墳群。史跡指定はされていない。 大和川と石川との合流点の東南に、南北にのびる玉手山の洪積丘陵上に点在する古墳群である。 玉手山古墳群は3種類の古墳群によって構成されている。第1は古式古墳群(古墳時代前期の古墳群)である。13基の前方後... 続きをみる
【大坂夏の陣古戦場跡】大阪府柏原市玉手町 1614年(慶長19年)に大坂冬の陣、1615年(慶長20年)に大坂夏の陣、と2度にわたって、大坂城をめぐって豊臣方と徳川方の戦が行われました。かつて小松山と呼ばれていた玉手山は、夏の陣の戦端が開かれた地。玉手山公園には、後藤又兵衛基次の碑や、豊臣・徳川両... 続きをみる
【梅之家神社】(うめのいえじんじゃ) 大阪府柏原市 大阪府柏原市円明町の「伯太姫神社」(はくたひめじんじゃ)へ行く途中に【梅之家神社】(うめのやじんじゃ)と彫られている石標があります。横のやや急なコンクリート階段を上がると鳥居、手水鉢、本殿や拝殿もなく普通の家があるだけです。その家には紙垂(しで)... 続きをみる
【伯太姫神社】(はくたひめじんじゃ)大阪府柏原市 鳥居の前をくぐって長い石段を上ります。案内板掲には次のように書かれてありました。「河内国安宿郡の延喜式内社であり、安宿郡尾張荘の地と推定されている。江戸時代は「白山権現」と呼ばれていたようで、伯太彦命と夫婦神であり、彦と同じく右京諸蕃田辺史の祖神を... 続きをみる
【柏原黒田神社】(かしわらくろだじんじゃ)は、1969年(昭和44年)に藤井寺市にある「北条黒田神社」より分社された神社で、過去は別名を塩殿神社(ショウデンさん)と言い、海運、広くは、交通安全の神として塩土老翁をまつっていた。分社後は「黒田神社」のご祭神もおまつりしている。黒田神社の名の由来は、農... 続きをみる
【大阪府立 花の文化園】大阪府河内長野市 近鉄長野線河内長野駅から国道170号線を進み、「文化園口」交差点を南へ500mほど行くと、のどかな風景の中、大阪府立花の文化園へ行き着く。甲子園の3倍もの広さを誇る園内は散策道が整備され、入園ゲート正面に広がる装飾花壇をはじめバラ園、ぼたん園、梅園、アジサ... 続きをみる
【丹生高野明神社】(にゅうたかのみょうじん)大阪府河内長野市
【丹生高野明神社】(にゅうたかのみょうじん)大阪府河内長野市 河内の古刹である真言宗御室派大本山、天野山金剛寺の山門前、天野街道を挟んで向い側、金剛寺を見下ろす天野山の頂に鎮座する古社です。社殿は華麗な三間社流れ造りで、大阪府指定有形文化財に指定されています。麓に鎮座する丹生高野両大明神社はこの丹... 続きをみる
【丹生高野両大明神】(にゅうたかのりょうだいみょうじん)大阪府河内長野市
【丹生高野両大明神】(にゅうたかのりょうだいみょうじん)大阪府河内長野市 河内の古刹である真言宗御室派大本山、「天野山金剛寺」の山門前、国道をはさんで向い側に鎮座する小社です。山の頂に鎮座する高野神社の裏参道にあたるとされ、古文献によれば金剛寺創建の天平年間(700年代)と同時期に建立されたと推測... 続きをみる
【金剛寺】(こんごうじ)は大阪府河内長野市にある真言宗御室派の大本山。山号は天野山(あまのさん)。高野山が女人禁制だったのに対して女性も参詣ができたため、「女人高野」とも呼ばれる。奥河内の観光地の一つ。大阪みどりの百選に選定されている。 寺伝ではインドのアショーカ王(阿育王)が投げた8万4千の鉄塔... 続きをみる
【金剛寺】(こんごうじ)は大阪府河内長野市にある真言宗御室派の大本山。山号は天野山(あまのさん)。高野山が女人禁制だったのに対して女性も参詣ができたため、「女人高野」とも呼ばれる。奥河内の観光地の一つ。大阪みどりの百選に選定されている。 寺伝ではインドのアショーカ王(阿育王)が投げた8万4千の鉄塔... 続きをみる
【金剛寺】(こんごうじ)は大阪府河内長野市にある真言宗御室派の大本山。山号は天野山(あまのさん)。高野山が女人禁制だったのに対して女性も参詣ができたため、「女人高野」とも呼ばれる。奥河内の観光地の一つ。大阪みどりの百選に選定されている。 寺伝ではインドのアショーカ王(阿育王)が投げた8万4千の鉄塔... 続きをみる
【金剛寺】(こんごうじ)は大阪府河内長野市にある真言宗御室派の大本山。山号は天野山(あまのさん)。高野山が女人禁制だったのに対して女性も参詣ができたため、「女人高野」とも呼ばれる。奥河内の観光地の一つ。大阪みどりの百選に選定されている。 寺伝ではインドのアショーカ王(阿育王)が投げた8万4千の鉄塔... 続きをみる
【支子稲荷神社】(さしいなりじんじゃ)大阪府富田林市 大阪府富田林市宮町にある「美具久留御魂神社」の境内社【支子稲荷神社】(さしいなりじんじゃ)です。「美具久留御魂神社」の本殿から山の方へ長い参道を進むと【支子稲荷大明神】があります。かなりのパワーを持ったお稲荷さんと思われます。由緒等は不明です。... 続きをみる
【美具久留御魂神社】(みぐくるみたまじんじゃ)大阪府富田林市
【美具久留御魂神社】(みぐくるみたまじんじゃ)大阪府富田林市 【美具久留御魂神社】(みぐくるみたまじんじゃ)は、大阪府富田林市にある神社。式内社で、旧社格は郷社。 美具久留御魂大神(大国主命)を主祭神とし、左殿に天水分神(あめのみくまりのかみ)、弥都波迺売命(みずはのめのみこと)、右殿に国水分神(... 続きをみる
【城山大神】(しろやまだいじん)/【不動明王】【神變大菩薩】(じんべだいぼさつ)大阪府八尾市
大阪府八尾市「天照大神高座神社」の境内隅に「城山大神」への案内板があります。柵の扉をあけて石段の参道を上っていくと左側に「城山大神」があります。 さらに参道を上がっていくと左側に「史跡の道 八尾市」の標石があります。その少し上に【不動明王】と【神變大菩薩】(じんべだいぼさつ)が祀られています。刻ま... 続きをみる
【天照大神高座神社】(あまてらすおおみかみたかくらじんじゃ)大阪府八尾市(2/2)
【天照大神高座神社】(あまてらすおおみかみたかくらじんじゃ)大阪府八尾市 【天照大神高座神社】(あまてらすおおみかみたかくらじんじゃ)は八尾市の南東部・高安山の中腹、岩戸神社の東の脇に新坐しています。旧社格は村社で、神名帳に「河内国高安郡天照大神高座神社ニ座、並大月次新嘗、元号春日戸神」と記されて... 続きをみる
【天照大神高座神社】(あまてらすおおみかみたかくらじんじゃ)大阪府八尾市(1/2)
【天照大神高座神社】(あまてらすおおみかみたかくらじんじゃ)大阪府八尾市 【天照大神高座神社】(あまてらすおおみかみたかくらじんじゃ)は八尾市の南東部・高安山の中腹、岩戸神社の東の脇に新坐しています。旧社格は村社で、神名帳に「河内国高安郡天照大神高座神社ニ座、並大月次新嘗、元号春日戸神」と記されて... 続きをみる
【岩戸神社】(いわとじんじゃ)八尾市大字教興寺 【岩戸神社】は、「天照大神高座神社」のすぐ西の脇にあり、本殿も同様に岩盤上に鎮座しています。祭神は『市杵島姫命』。俗に『岩屋弁財天』『岩谷弁財天』と呼ばれています。 御神体は一帯の岩山全体ですが、以前は木彫の弁財天像が御神体でした。 高僧空海が高座神... 続きをみる