【賀茂神社跡】(かもじんじゃあと)大阪府八尾市 大阪府八尾市西高安の田んぼと畑の真ん中にあります。すぐ東には大阪外環状線、西にはゴルフ練習場があります。外環状線からは細い地道があり、その地道から神社へは約100mの突き当りにこの【賀茂神社跡】(かもじんじゃあと)があります。年中木が茂っているのでこ... 続きをみる
2018年11月のブログ記事
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恩智左近満一の出身地などについてはいくつかの説がありますが、恩智神社の社家の出で、この地の豪族として恩智城を築き、楠木正成方に味方した八臣の一人。 湊川の戦の後は、その子正行を助けて南朝方を守りましたが不幸にして延元2年(1337年)7月熱病のため急死。 傍の墓碑十六基は明治10年の西南戦争に官軍... 続きをみる
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【シュミイ地蔵】(しゅみいじぞう) 大阪府八尾市 東高野街道沿いの「恩智城址」(おんじじょうし)への登り口脇にある地蔵です。名前の由来は不明。地元恩智の有志が結集して菩提追善のため、彼岸の中日に建立したもの。高さ一三六センチメートル、幅六七センチメートル材質は花崗岩。像の左右に次の銘文がようやく読... 続きをみる
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【恩智城址】(おんぢじょうし)大阪府八尾市 【恩智城】(おんぢじょう)は中世この地の豪族「恩智左近満一」が築きました。自然の高地を利用した城郭で高安連峰との間に堀を捲らせ前方に大阪平野を一望のもとに治めました。 堀の中にかつては小島がありましたが、それは昔の「一の丸」で現在の城址は「二の丸」の址で... 続きをみる
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大阪府八尾市の恩智惣池がある場所の隅に鎮座する正体不明の「稲荷神社」です。由緒等は不明。綺麗に管理されているようです。 場所:大阪府八尾市恩智中町 アクセス:恩智神社を出てさらに山へ向かって約5分ほど登った場所に恩智惣池があります。 恩智惣池に鎮座する正体不明の「稲荷神社」
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大阪府八尾市「恩智神社」の橋原神宮遥拝所の奥に、【八大龍王】(はちだいりゅうおう)があります。こちらの前は、なかなかのスポットだと思う。強い神気を感じるパワースポットです。 「八大龍王御真言」の立札があります。 「ばん あみだぶつ おん そらそば ていえい そわか」 (「ばん」=宇宙の根元=大日... 続きをみる
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【通夜島有姫龍神】(つやしまありひめりゅうじん)大阪府八尾市神立
【通夜島有姫龍神】(つやしまありひめりゅうじん)大阪府八尾市神立 個人の方がお祀りされている龍神様のようです。標石に案内には次のように書かれています。 「昭和51年3月28日。お迎へ申しました。紀洲串本大島の沖に浮ぶ通夜島。此の島に太古よりお祭りして居られました神様です。私この島に縁あって熱帯植物... 続きをみる
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【愛岩宮(愛宕宮)】(あたごみや)大阪府八尾市神立 大阪府八尾市神立5丁目に小さい社が鎮座しています。石標には【愛宕宮】となっています。鳥居や狛犬はありません。説明板がないので由緒等は不明です。この「愛宕」で思い当たるのが、この近くに愛宕塚古墳があります。また、この社の手前に「通夜島有姫龍神」が鎮... 続きをみる
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【貝塚地蔵尊】(かいづかじぞうそん)大阪府八尾市 大阪府八尾市山本町北の公園のところに【貝塚地蔵尊】(かいづかじぞうそん)があります。案内板には次のように書かれてあります。 「江戸時代の中頃(宝永元年・1704年)に大和川が付け替えられるまでは玉串川は幅の広い川でした。地蔵があるこのあたりは、旧福... 続きをみる
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【三十八神社】(みそやじんじゃ)大阪府八尾市 西向き本殿・拝殿が、拝殿の左右に末社あります。この【三十八神社】(みそやじんじゃ)が福万寺城の跡で、南北朝時代の文和年間(1352年~1355年)佐々木盛綱の8代の子孫の佐々木二郎盛恵の居城であったと伝えられています。境内には案内板があり次のように... 続きをみる
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【万願寺御領 八幡神社】 (まんがんじごうじょ やはたじんじゃ)大阪府八尾市
【万願寺御領 八幡神社】 (まんがんじごうじょ やはたじんじゃ)大阪府八尾市 この八幡神社の創建は不明であるが、述宝七未年(1679)の村明細帳に八幡宮や絵馬堂が 記載され除地として年貢が免除されている。さらに遡る文禄三年(1594)の所謂、太閤検地で境内地が免地であった記述もあり、 八幡神社の創... 続きをみる
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【式内社 長柄神社跡】(ながらじんじゃあと)大阪府八尾市 旧信貴道に面した【長柄神社】(ながらじんじゃ)は、旧庄内村と東郷村の境にあり、祭神は「事代主命」(ことしろぬしのみこと)で、別に「八言事代主命」(やえことしろぬしのみこと)とも言われ、「大国主命」(おおくにぬしのみこと)の子とされています。... 続きをみる
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【比枝神社】(ひえじんじゃ)大阪府八尾市 大阪府の八尾駅から東南へ約750m(直線)、八尾駅の南を東西に走る国道25号を東へ進み、相生町交差点を左折し北へ進むと右手奥の住宅街の中、玉垣に囲まれて鎮座しています。境内は間狭く、鳥居潜ると拝殿・本殿が西向きに鎮座しています。境内に旧・社号標の天照皇大神... 続きをみる
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【御剱神社】(みつるぎじんじゃ)「老原」大阪府八尾市 御祭神は「素戔嗚尊」(すさのおのみこと)。 由緒については、「長瀬川上流左岸と了意川(現平野川)上流右岸に位置するこの地は早くから拓け、古くから農作に從うもの現れ、豊穣の神といわれた素戔嗚尊を祀り氏神として豊作をねがったのである。老原は、奈良朝... 続きをみる
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【 杵築神社】(きづきじんじゃ)「老原」大阪府八尾市 神社創建の年代は不明。往古、大和川は八尾の地を北流し、旧淀川に合流して大阪湾に注いでいた。当時は度々洪水が起りこの地の住民は塗炭の苦しみを受けていたので、小祠を建立し神のご加護を願ったのが始と云われている。宝永元年(一七〇四)大和川の付替工事が... 続きをみる
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【樟本神社】(くすもとじんじゃ)は、大阪府八尾市にある神社。延喜式神名帳に「樟本神社 三座 鍬靱 河内国志紀郡鎮座」と記される式内社であり、現在の八尾市木の本(旧丹北郡)、北木の本、南木の本(旧志紀郡)の3箇所に鎮座している。創建の年代は不詳であるが、古墳時代以前に遡ると考えられる。祭神は、古来は... 続きをみる
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【樟本神社】(くすもとじんじゃ)は、大阪府八尾市にある神社。延喜式神名帳に「樟本神社 三座 鍬靱 河内国志紀郡鎮座」と記される式内社であり、現在の八尾市木の本(旧丹北郡)、北木の本、南木の本(旧志紀郡)の3箇所に鎮座している。創建の年代は不詳であるが、古墳時代以前に遡ると考えられる。祭神は、古来は... 続きをみる
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【樟本神社】(くすもとじんじゃ)は、大阪府八尾市にある神社。延喜式神名帳に「樟本神社 三座 鍬靱 河内国志紀郡鎮座」と記される式内社であり、現在の八尾市木の本(旧丹北郡)、北木の本、南木の本(旧志紀郡)の3箇所に鎮座している。創建の年代は不詳であるが、古墳時代以前に遡ると考えられる。祭神は、古来は... 続きをみる
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【弓削神社】(ゆげじんじゃ)大阪府八尾市弓削町 大阪府八尾市付近に勢力を保持していた物部氏の一族である弓削氏の氏神。八尾の弓削神社は、JR志紀駅・長瀬川を挟んで2箇所あり、東側の東弓削一丁目にある「弓削神社」と西側の弓削町一丁目にある「弓削神社」の二社一対で二座にあてている。両社とも式内大社。 鎮... 続きをみる
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【弓削神社】(ゆげじんじゃ)大阪府八尾市東弓削 大阪府八尾市付近に勢力を保持していた物部氏の一族である弓削氏の氏神。八尾の弓削神社は、JR志紀駅・長瀬川を挟んで2箇所あり、東側の東弓削一丁目にある「弓削神社」と西側の弓削町一丁目にある「弓削神社」の二社一対で二座にあてている。両社とも式内大社。 鎮... 続きをみる
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【太田八幡宮】(おおたはちまんぐう) 大阪府八尾市太田 この大田八幡宮の付近には古い町並みが数多く残っています。 【太田八幡宮】(おおたはちまんぐう)は、太田地区の氏神で、元は「免田神社」と呼ばれ中河内郡大正村大字大田字免田にありました。免田は字名。御祭神は品陀別命を祀ります。詳細な由緒等について... 続きをみる
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【寶殿神社】(ほうでんじんじゃ)大阪府八尾市沼 当社は、室町時代河内守護職であった畠山氏の小山砦から鬼門の位置にあったので、その守護神として創建されたと伝えられ、沼の産土神である。本殿は一間社流造で覆屋内に鎮座し江戸時代初期のもので、市内に残存する古い建築様式の一つであり同時代のものと考えられる珍... 続きをみる
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【穴太神社】(あのうじんじゃ)大阪府八尾市 河内国若江郡の穴太邑が当地で、『姓氏録』未定雑姓の河内国にみえる孔王部首(あなほべのおびと)氏の住地でもありました。 穴太は現在、「あのう」と読まれています。祭神は、天照皇大御神、住吉四神(上筒男命・中筒男命・底筒男命・神功皇后)、春日四神(建御賀豆智命... 続きをみる
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【渋川神社】(しぶかわじんじゃ)は、大阪府八尾市植松町にある神社。 若江郡の式内社であり、旧社格は郷社。天忍穂耳尊、饒速日命、國狹槌尊、日高大神、菅原大神を祭神としている。創建の年月は不明。 かつて飛鳥時代に本地域を本拠地としていた物部守屋の渋河の家の跡ともいわれている。もとは旧大和川の東側の字川... 続きをみる
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【渋川天神社】(しぶかわてんじんじゃ)大阪府八尾市 【渋川天神社】(しぶかわてんじんじゃ)は素戔嗚尊(すさのをみこと)、菅原道真を祀る古社。神社の南西の地は白鳳時代に渋川寺しぶかわじであったところで、昭和十年頃、国鉄の竜華操車場を開設工事のとき、多数の単弁八葉や忍冬唐草紋の瓦及び塔心礎が出土した。... 続きをみる
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【許麻神社】(こまじんじゃ)大阪府八尾市 式内社で、もと牛頭天王と称され、渋川六座の一である。この地は古く巨麻荘といい、河内国諸蕃の大狛連の住地で、その祖神をまつったと伝えられる。 境内の手洗いの屋形は、むかしの宮寺久宝寺観音院の鐘楼の名残りである。この寺は、聖徳太子の建立で、戦国時代に兵火に逢っ... 続きをみる
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【許麻橋地蔵】(こまばしじそう)大阪府八尾市 「許麻神社」(こまじんじゃ)の鳥居前の辻堂内にあるこの【許麻橋地蔵】(こまばしじそう)は、亡父の追善供養のために造顕されたもので、像の左右に次の銘文がある。爲景 慧 禅定門追善 天文廿一壬子四月 日孝子敬白 いまは安産地蔵といわれている。像は中央部で折... 続きをみる
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【八大龍王 日天寺】(はちだいりゅうおう にってんじ)京都市左京区北白川
【八大龍王 日天寺】(はちだいりゅうおう にってんじ)京都市左京区北白川 京都の北白川から比叡山の登山道路(通称:山中越え)の途中、白川を渡った中腹に【八大龍王 日天寺】(はちだいりゅうおう にってんじ)の看板が見えます。そのすぐ横に古びた赤い鳥居があり、「八大龍王」の額が掛かっています。かなり急... 続きをみる
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【北白川 身代り不動尊】(きたしらかわみがわりふどうそん)京都市左京区地蔵谷町
【北白川 身代り不動尊】(きたしらかわみがわりふどうそん)京都市左京区地蔵谷町 京都市左京区北白川の叡山ドライブウェイ沿い、白川に架かる小さな橋の向こうに【北白川 身代り不動尊】(きたしらかわみがわりふどうそん)があります。 寛政4年(1792)悪疫平癒を祈願し、宗鏡法師が地元の村人の寄進を集め... 続きをみる
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【岡崎神社】(おかざきじんじゃ)「うさぎ神社」京都市左京区 うさぎだらけのパワースポットが、京都市左京区にある【岡崎神社】(おかざきじんじゃ)です。祭神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、櫛稲田媛命(くしなだひめのみこと)。さらに二神から生まれた(三女五男八柱神)をお祀りしています。たくさんの子宝に... 続きをみる
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【北白川不動温泉】(きたしらかわふどうおんせん)京都市左京区地蔵谷町
【北白川不動温泉】(きたしらかわふどうおんせん)京都市左京区地蔵谷町 京都府と滋賀県の県境の霊峰比叡山麓の山深い位置、通称『山中越え』という峠道沿いに【北白川不動温泉】(きたしらかわふどうおんせん)があります。 周囲は京都市街地とは違って、鬱蒼とした広葉樹の広がる山の中です。昭和な建物にある看板に... 続きをみる
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【護王神社】(ごおうじんじゃ)京都市上京区 旧社格は別格官幣社。和気清麻呂と姉の和気広虫を主祭神とし、藤原百川と路豊永を配祀する。 護王神社は、和気氏の創建による高雄神護寺境内に作られた、和気清麻呂を祀った護王善神社に始まる。正確な創建の年代は不詳である。 和気清麻呂と姉の広虫は、宇佐八幡宮神託事... 続きをみる
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【稲生神社】(いなりじんじゃ)八尾市天王寺屋 八尾市天王寺屋の国道25号線沿いに鎮座する【稲生神社】(いなりじんじゃ)です。 この周囲は天王寺屋吉兵衛氏が開発した天王寺屋新田(てんのうじやしんでん)が地名の由来である地域です。長瀬川(旧久宝寺川)はJR線の東側にあります。 国道25号線沿いの天王寺... 続きをみる
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大阪府八尾市の光蓮寺の前に【稲城址】(いなきのあと)の石碑があります。 聖徳太子が物部守屋の館のあった阿都の桑市を攻めたとき、守屋は兵を集めて、この地に稲城を構えて抗戦したといわれます。 稲城は稲で囲った城とか、稲積みの城であったとか伝えられています。 この碑は昭和十四年建立されたものです。 住所... 続きをみる
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【樟本神社】(くすもとじんじゃ)は、大阪府八尾市にある神社。延喜式神名帳に「樟本神社 三座 鍬靱 河内国志紀郡鎮座」と記される式内社であり、現在の八尾市木の本(旧丹北郡)、北木の本、南木の本(旧志紀郡)の3箇所に鎮座している。 創建の年代は不詳であるが、古墳時代以前に遡ると考えられる。祭神は、古来... 続きをみる
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【顕証寺】(けんしょうじ)大阪府八尾市 大阪府八尾市久宝寺にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は近松山。周囲に寺内町を形成し、現在もその町並みをとどめている。 久宝寺の地名は、飛鳥時代に聖徳太子が「久宝寺」を当地に創建したことに由来する。顕証寺西側の許麻神社(こまじんじゃ)境内には太子創建を伝える久... 続きをみる
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【八王子神社】(はちおうじじんじゃ)「常世岐姫神社」大阪府八尾市
【八王子神社】(はちおうじじんじゃ)「常世岐姫神社」大阪府八尾市 大阪府八尾市にある式内社で「常世岐姫神社」といったが地元では【八王子神社】(はちおうじじんじゃ)として親しまれている。古記録によれば宝亀七年(七七六)の夏河内國大県郡の人正六位上、赤染人足ら十三人に常世岐の姓を与えたという。この赤染... 続きをみる
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【神劔神社】(みつるぎじんじゃ)は二百二十五年以前の元文元年辰歳国分村反師枩井四郎兵衛らによって造営され素戔嗚命、保食神の二神を祀り田井中村の氏神として永く村民の尊敬を集め弥栄えてきた。 往時の旧大和川縁辺に当たる現東老原地区の五条宮跡附近から奈良朝時代の古瓦が発見されたことからみて 田井中村の発... 続きをみる
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【若倭姫神社】 ( わかやまとひめじんじゃ )大阪府柏原市 式内社。祭神 は若倭姫命。6世紀頃この地で繁栄した若倭部連の祖神を祀る神社。『旧事本紀天孫本紀』に、饒速日尊の五世の孫の建筒草命は建額赤命の子で、多治比連、津守連、若倭部連、葛木厨直の祖であると出ている。 『新選姓氏録』右京神別には、「若... 続きをみる
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【瑠璃光寺】(るりこうじ)は、大阪府柏原市山ノ井町にある仏教寺院。曹洞宗永平寺の末寺で山号は「医王山」。 正式には「医王山薬師院瑠璃光禅寺」と称する。天平年間に行基が開創、本尊の薬師如来像は行基の作と伝わる。かつては『七堂伽藍を具備せし巨刹なり』といわれ、大規模な寺院だったが、織田信長の信貴山城攻... 続きをみる
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【神宮寺小太郎塚】(じんぐうじこたろうつか)大阪府八尾市 「神宮寺小太郎」は大阪府八尾市神宮寺の豪族で、神宮寺城を構え恩智左近満一とともに楠木正成に属し、その八臣の一人である。 正成湊川で戦死後はその子正行に従い四條畷に出陣して討死し、そのとき北朝方により神宮寺城も落ちた。 塚はもと古墳で明治末年... 続きをみる
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【南禅寺】 (なんぜんじ)は、臨済宗南禅寺派大本山の寺院。山号は瑞龍山、寺号は詳しくは太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)である。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は亀山法皇、開山(初代住職)は無関普門(大明国師)。日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの... 続きをみる
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【南禅寺】 (なんぜんじ)は、臨済宗南禅寺派大本山の寺院。山号は瑞龍山、寺号は詳しくは太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)である。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は亀山法皇、開山(初代住職)は無関普門(大明国師)。日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの... 続きをみる
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【南禅寺】 (なんぜんじ)は、臨済宗南禅寺派大本山の寺院。山号は瑞龍山、寺号は詳しくは太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)である。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は亀山法皇、開山(初代住職)は無関普門(大明国師)。日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの... 続きをみる
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【南禅寺】 (なんぜんじ)は、臨済宗南禅寺派大本山の寺院。山号は瑞龍山、寺号は詳しくは太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)である。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は亀山法皇、開山(初代住職)は無関普門(大明国師)。日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの... 続きをみる
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【あごなし地蔵尊】大阪府八尾市 久宝寺御坊(顕証寺)前の地蔵堂内にある。総高41cm舟形光背に高さ14cmの蓮華座を彫り出し、その上に立つ像高22cmの地蔵二尊仏で、双体道祖神を想わせる像容である。像の左に“をきのくに あごなし地蔵”と陰刻されている。あごなし地蔵は隠岐島の小野篁作といわれる地蔵が... 続きをみる
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【シュミイ地蔵】大阪府八尾市恩智中町 東高野街道沿いの恩智城址への登り口脇にある地蔵です。名前の由来はわからないが、地元恩智の有志が結集して菩提追善のため、彼岸の中日に建立したものである。高さ一三六センチメートル、幅六七センチメートル材質は花崗岩である。像の左右に次の銘文がようやく読みとれる。良盛... 続きをみる
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【子守社】(こもりしゃ)大阪府八尾市 別称は【垣内子守社】(かいちこもりしゃ)。碑文に書かれているのは、「阪神大震災で鳥居等大きく被災しその債権並びに氏子一丸の賛助と多大の寄進を以って鳥居の奉納併せて境内の大整備を完遂したことを慶び氏子全員の家運隆昌を祈願しここに記す。」 この【子守社】の道路を挟... 続きをみる
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【越中井】(えっちゅうい)は、大阪市中央区森の宮中央2丁目12にある史跡。細川家の当主である細川忠興の屋敷の台所があったと伝えられる場所で、「細川ガラシャ」最期の地として知られる。「越中井戸」(えっちゅういど)とも呼称される。 秀吉の死後の1600年、会津征伐において忠興が徳川家康に従って出征して... 続きをみる
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【玉造稲荷神社】(たまつくりいなりじんじゃ)大阪市中央区(2/2)
【玉造稲荷神社】(たまつくりいなりじんじゃ)大阪市中央区 旧社格は府社。 宇迦之御魂大神(稲荷神)を主祭神とし、下照姫命、稚日女命、月読命、軻偶突智命を配祀する。 社伝によれば垂仁天皇18年(紀元前12年)に創建され、当時は比売社と称していた。蘇我氏と物部氏の戦いの際、 蘇我氏方の聖徳太子がこの地... 続きをみる