kazu2000のブログ / 社寺仏閣巡り

神社が好きで関西を中心に廻っています。kazu1000のブログ記事が満杯になりましたので、このkazu2000より引き続き投稿致します。

【越中井】(えっちゅうい) 大阪市中央区

【越中井】(えっちゅうい)は、大阪市中央区森の宮中央2丁目12にある史跡。細川家の当主である細川忠興の屋敷の台所があったと伝えられる場所で、「細川ガラシャ」最期の地として知られる。「越中井戸」(えっちゅういど)とも呼称される。
秀吉の死後の1600年、会津征伐において忠興が徳川家康に従って出征している間に、豊臣家の再興をもくろむ石田三成が決起。三成は忠興を味方につける為、ガラシャを人質にしようと細川屋敷を取り囲むが、彼女はこれを拒絶し、自らの命を絶ち、屋敷に火を放った。これに驚いた三成は他の大名の家族に手を出すのを控えるよう余儀なくされ、結果多くの武将が家康側に付くこととなった。
細川屋敷の焼け跡には、台所の井戸が焼け残っており、【越中井】(えっちゅうい)と呼ばれた。




場所:大阪市中央区法円坂1丁目2−1 丁目


アクセス:大阪市営地下鉄中央線・大阪環状線森ノ宮駅より南西約500m




【玉造稲荷神社】(たまつくりいなりじんじゃ)大阪市中央区(2/2)

【玉造稲荷神社】(たまつくりいなりじんじゃ)大阪市中央区



旧社格は府社。 宇迦之御魂大神(稲荷神)を主祭神とし、下照姫命、稚日女命、月読命、軻偶突智命を配祀する。 社伝によれば垂仁天皇18年(紀元前12年)に創建され、当時は比売社と称していた。蘇我氏と物部氏の戦いの際、 蘇我氏方の聖徳太子がこの地に布陣して戦勝を祈願し、戦勝後当地に観音堂を建てたという伝承がある。豊臣大坂城の三の丸に位置し、その鎮守社として豊臣家から篤い崇敬を受けた。戦国時代の戦火で荒廃し、慶長8年(1603年)に豊臣秀頼により社殿が再建された。慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で社殿は再び焼失し、元和5年(1619年)に徳川幕府の大坂城代や氏子らの寄進によって再建された。






住所:大阪府大阪市中央区玉造2-3-8


アクセス:大阪環状線または大阪市営地下鉄中央線・長堀鶴見緑地線森ノ宮駅下車後、徒歩約6分(南西へ約500m)



【玉造稲荷神社】(たまつくりいなりじんじゃ)大阪市中央区(1/2)

【玉造稲荷神社】(たまつくりいなりじんじゃ)大阪市中央区


旧社格は府社。 宇迦之御魂大神(稲荷神)を主祭神とし、下照姫命、稚日女命、月読命、軻偶突智命を配祀する。 社伝によれば垂仁天皇18年(紀元前12年)に創建され、当時は比売社と称していた。蘇我氏と物部氏の戦いの際、 蘇我氏方の聖徳太子がこの地に布陣して戦勝を祈願し、戦勝後当地に観音堂を建てたという伝承がある。豊臣大坂城の三の丸に位置し、その鎮守社として豊臣家から篤い崇敬を受けた。戦国時代の戦火で荒廃し、慶長8年(1603年)に豊臣秀頼により社殿が再建された。慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で社殿は再び焼失し、元和5年(1619年)に徳川幕府の大坂城代や氏子らの寄進によって再建された。







住所:大阪府大阪市中央区玉造2-3-8
アクセス:
大阪環状線または大阪市営地下鉄中央線・長堀鶴見緑地線森ノ宮駅下車後、徒歩約6分(南西へ約500m)





【鵲森宮】(かささぎもりのみや)大阪市中央区

【鵲森宮】(かささぎもりのみや)大阪市中央区


式内社で、旧社格は府社。通称を「森之宮神社」(もりのみやじんじゃ)といい、周辺の地名である森之宮の由来となっている。
聖徳太子の両親である用明天皇・穴穂部間人皇后、および聖徳太子を主祭神として本社に祀り、奧社に天照大神・月読命・素盞嗚命を祀る。聖徳太子は物部守屋との戦いの戦勝を祈願し、勝った暁には四天王を祀ることを誓った。戦勝後の崇峻天皇2年(589年)7月、まず両親を現在地に祀って寺の鎮守とし、その森に四天王を祀る寺(元四天王寺)を創建した。四天王寺はその25年後に現在の荒陵山に移転したが、当社はそのままとされた。



『日本書紀』の推古天皇6年夏4月に、聖徳太子の命により新羅へ渡った吉士盤金(きしのいわかね)が2羽の鵲を持ち帰り、難波の杜で飼ったという記述がある。その「難波の杜」は当社の森であるとされることから「鵲の森」と呼ばれるようになり、ついには当社の社名となったと伝える。


境内に「五幸稲荷社」があります。







所在地 :大阪府大阪市中央区森之宮中央1丁目14-4


アクセス:JR森ノ宮駅より徒歩約3分








【生國魂神社】(いくくにたまじんじゃ)大阪市天王寺区(2/2)

【生國魂神社】(いくくにたまじんじゃ)大阪市天王寺区



式内社(名神大社)。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。大阪市中心部、難波宮跡や大坂城(大阪城)から南西方の生玉町に鎮座する。かつては現在の大坂城の地に鎮座し、中世にはその社地に近接して石山本願寺も建立され繁栄したが、石山合戦後の豊臣秀吉による大坂城築城の際に現在地に遷座されている。



この生國魂神社が祭神とする生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしまのかみ)は、国土の神霊とされる。両神は平安時代に宮中でも常時奉斎されたほか、新天皇の即位儀礼の1つである難波での八十島祭(やそしままつり)の際にも主神に祀られた重要な神々で、生國魂神社自体もそれら宮中祭祀と深い関わりを持つとされる。また、同様に大坂城地から遷座されたという久太郎町の坐摩神社とともに、難波宮との関わりも推測されている。その後中世・近世を通じても崇敬を受け、戦前の近代社格制度においては最高位の官幣大社に位置づけられた、大阪の代表的な古社の1つである。



古くからの社殿・神宝は幾多の火災・戦災によって失われたが、現本殿には「生國魂造(いくたまづくり)」と称する桃山時代の独特の建築様式が継承されている。また、7月11日・12日の夏祭など古くからの祭りが現在まで続けられている。






所在地:大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9


アクセス:地下鉄谷町線・千日前線「谷町九丁目」駅より徒歩約4分。
又は、近鉄「上本町」駅より徒歩約9分。








【生國魂神社】(いくくにたまじんじゃ)夏祭り 2018年7月12日 - KAZU1000のブログ