kazu2000のブログ / 社寺仏閣巡り

神社が好きで関西を中心に廻っています。kazu1000のブログ記事が満杯になりましたので、このkazu2000より引き続き投稿致します。

【比売許曽神社】(ひめこそじんじゃ)大阪市東成区

【比売許曽神社】(ひめこそじんじゃ)大阪市東成区


主祭神 は、下照比売命。創建 垂仁天皇2年。旧社格は村社。式内名神大社「摂津国東生郡 比売許曽神社」の論社の一社である(もう一社は高津宮摂社・比売古曽神社)。下照比売命を主祭神とし、速素盞嗚命・味耜高彦根命・大小橋命・大鷦鷯命・橘豊日命を配祀する。ただし、江戸時代の天明年間までは、牛頭天王を主祭神とする牛頭天王社であった。『記紀』によれば祭神の由来については、新羅の王子天日槍(あめのひほこ)(又は大加羅国の王子、都怒我(つぬが)阿羅斯等(あらしと))の妻であったが、逃げて日本国に入り難波に至って比売語曽(ひめごそ)社の神となった。


また豊国(とよくに)の国前郡の比売語曽社の神となったとある(『記』には応神朝、新羅の王子天日槍の妻・比売語曽(ひめごそ)社に坐す阿加流比売(あかるひめ)神とあり、『紀』では垂仁朝、大加羅国の王子都怒我阿羅斯等の妻比売語曽社の神とある)。更に『風土記』摂津国の条にも「応神朝」の話として同じ記事が記載されている。


『延喜式神名帳』では下照比売社が比売許曽神社であると記し、阿加流比売命を祀る赤留比売神社は住吉郡に記している。



垂仁天皇2年7月、愛来目山(現在の天王寺区小橋町一帯の高台)に下照比売命を祀り、「高津天神」と称したことに始まると伝えられる。顕宗天皇の時代に社殿が造営された。延喜式神名帳では名神大社に列し、新嘗・相嘗の奉幣に預ると記載されている。当社の境外末社・産湯稲荷神社がある地が旧鎮座地と推定されている。


天正年間、織田信長の石山本願寺攻めの兵火に遭って社殿を焼失した。社伝では、神体は焼失を免れ、摂社であった現在地の牛頭天王社内に遷座したと伝えているが、事実かどうかは不詳である。
天正以後は荒廃し、所在が不明となっていたが、天明8年(1788年)、ある者が比売許曽神社の旧記神宝を発見したと唱え、それに基づいて比売許曽神社の縁起が編纂され、牛頭天王社を式内・比売許曽神社に当て、下照比売命を祀ってこれを主祭神とした。『大阪府神社史資料』では、その縁起は「信ずべきものにあらず」と記している。







所在地: 大阪府大阪市東成区東小橋3丁目8−14


アクセス:JR環状線、近鉄奈良線、地下鉄千日前線「鶴橋」下車、千日前通りを東へ約300m。