kazu2000のブログ / 社寺仏閣巡り

神社が好きで関西を中心に廻っています。kazu1000のブログ記事が満杯になりましたので、このkazu2000より引き続き投稿致します。

【六ヶ地蔵尊】(ろっかじぞうそん)大阪府八尾市刑部

【六ヶ地蔵尊】(ろっかじぞうそん)大阪府八尾市刑部



大阪の八尾から庄之内を通って信貴山へ向かう道は、刑部の北で玉串川に達する。この玉串川西堤下に当たる刑部2丁目1番地、小字茶屋之前にこの【六ヶ地蔵】(ろっかじぞう)がある。凝灰石の石棺の蓋を利用して作った石棺仏である。かなり風化していて、顔形も分らず、時代も不明。六カについては八尾に関する古地名の六カ辻郷、小字六カ辻口などとの関係が考えられる。


由来について;
現在地は八尾市刑部二丁目一番地です。この御堂のある土地は小字茶之前と呼ばれています。北側の道は信貴山へ通ずる昔の道です。東側は旧大和川(玉櫛川)の西提でその堤下にあたります。地蔵尊の石材は古墳時代に造られた石棺の蓋を利用しています。地蔵尊の造られた時代は不明です。棺蓋は突起のない中形の刳抜式の家型石棺に属します。増田一裕氏の研究によれば七世紀中頃(六二五~六五〇)に造られたものとされています。岩室は淡灰緑色の流紋岩質凝灰岩で播磨国(姫路市から三田市)に分布する流紋岩質溶結凝灰岩の一部に似ています。古墳時代の後期に豪族を葬るために造られた石棺が時が流れ古墳も壊れ人目につくようになったのでしょう。平安時代の末から各地に石仏信仰が始まります。この地は刑部千軒といわれた時代に村の端に建てられたと思います。刑部千軒の遺物を示すものとしては昭和十七年に干害用井戸掘り工事の時地蔵尊の東 旧大和川から飲料水を取入れたと考えられる竹管が発見されています。昔から茶之前の地蔵さんと愛称され子供の霊を守り病気を救い村内に疫病の侵入を防ぎ道行く人々の安全をお守り下さるということでお詣りも大変多くありました。(境内の説明石板より)